えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

片付け

先週の土曜日、長男から帰省のことで電話があった。

 

大型連休の時、「今度はお盆に帰省するね」と言っていたので私は8月11日に帰省して、14日に帰るのだろうと予想していた。息子が休みを取れば前後1日ぐらいは増えるかもしれないけれど。

ところが、ところが、7日に嫁っこと孫っちが先に来て、息子は8日に帰省。そして、息子は15日に帰り、嫁っこと孫っちは18日に帰る予定だとか。その間、我家にずっと滞在するとのこと。まあ、日中はあちこち出かけるだろうけれど、朝と夜は我家で過ごすそうだ。

ひえ~!!(これはうれしい悲鳴です)

 

息子たちは帰省中、離れで寝泊まりをする。

夫が倒れる前、離れには私が住んでいたのでお風呂はないけれど、他のものはなんでも揃っていた。「いた」と過去形なのは全く使わなくなったガスを止めたこと、冷蔵庫の冷凍室が使えなくなってしまったから。

 

母屋でも寝られないことはないけれど、狭いし、ゆっくりできないし、それに離れにはトイレも洗面も台所もあるし、ガスはないけれど、カセットコンロを使えば簡単なものぐらいは作れるし、お湯は電気ポットで沸かせば使えるからその方がいいのだ。

 

電話があってから、私は彼らが寝泊まりする離れの掃除が日課となった。と言っても実際には夫がデイケアの日ぐらいしかできないのだけれど。だから今週のデイケアの日は片付けばかりしていた。夫がいる日には母屋の方もきれいにしておきたいと毎日片づけに明け暮れた。

 

大型連休の時にきれいにしたはずなのにどうして片付かないのだろう。結局、モノが多すぎるのだ。処分してしまえばいいのだけれど、それができないからどんどんたまり片付かない。それに、息子は自分の家に置けなくなると処分したくないものを実家に送ってくる。この間、と言っても数か月前だけれど、引っ越し用の段ボール6箱分の荷物を送ってきた。中身は本やらなんやら。

それをそのまま離れに積んでおいたのだけれど、どうにも気になり押入れに入れることにした。と言っても押入れの中にはモノがいっぱい入っている。それを出して処分できるものは処分し、できないものは物置か離れの2階に持っていくつもりで。

 

元々、片付けたくて仕方がなかった。少しやりかけてはやめ、またモノが溜まる。また少し片づけては溜まるという繰り返し。大物は夫が倒れてから動かすことも処分することもできず悩みの種だった。以前、息子に「自分が死んだ後のことを考えると今のうちに片付けておきたい」と話したことがある。すると、息子は「心配しなくてもその時は僕が片付けてあげるから無理しなくていいよ」と言った。私としては荷物に囲まれて生活するのではなく、すっきりした部屋で暮らしたいという気持ちもあったのだけれど。

でもまあ、そう言われると息子の荷物は普段自分の目につくところに置くわけではないし、気持ちよく預かってやりたいと思う。

 

こうして息子たちが帰省する度に私は片付けの機会を与えられている。そんなことでもなければ横着者の私は押入れの中や不用品の整理などは目を瞑って放っておくだろう。そう思ったらすごく有難いことだと思えてくる。

息子たちの顔を思い浮かべてあと少し。きれいになれば私自分が何よりうれしいのだから。

 

この間から咲き始めたモミジバアオイ。これは今年3つ目の花だ。 

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真っ赤なこの花を見ていると元気が出てくる。

あと少し頑張ろう。息子たちに気持ちよく過ごしてもらうために。

忙しくて、暑くて、疲れたけれど、よく頑張った

あれよあれよという間に月日が流れ、あれからもう10日近くも経ってしまった。

 

このところ真夏日だの猛暑日だのいう日が続き、今月はただでさえも忙しく、疲れた日々を送っていた。そこにこの暑さが加わり、私の疲れを倍増させた。

で、夫が寝てしまうともうぐったりして何もやる気が起こらず、かといって寝てしまうのはもったいなくて、ひたすらテレビの前でゴロゴロしていた。

 

今月は夫の病院通いが5回もあった。3か月に1回の脳外科、1か月に1回の歯科、通常ならば整形外科は3か月に1回だけれど、下肢装具のベルトが切れそうになり受診。前回作成した時より4年経っているので新しく作ることにし、そのためクリニックに出張してくる装具のメーカーにみてもらい、型取り、仮合わせ、出来上がりと、3回も整形に通った。

装具は新しくなったので良かったのだけれど、装具代は保険から補助が出るため市役所に出向き申請しなければならない。で、その手続きに行ったり・・・

 

もちろん、ふれあい音楽会にも2回行った。それはそれは楽しいのだけれど、あまりに忙しいと後で疲れがどっと出てくるのだ。

 

あと、脳外科を受診した日から夫のシャワー浴を始めた。

毎年、夏になるとかなり頑張ってシャワー浴をしている。本当は梅雨のころからいつから始めようかと思ってはいたのだけれど、始めるにあたってはその前にいろいろやっておくことがある。例えば浴室に置いてあるシャワーチェアーを私が使っているものから夫が使うキャスター付きのものに替えること。私が使っているのはキャスターがなく、夫が使うものより場所を取らなくていいのだけれど、歩けない夫のためにはキャスターがどうしても必要なのだ。そして、交換するの当たっては使っていたものをきれいに洗い乾燥させなければならない。その上、大型連休以来、お風呂場を使うのは私ひとりだったので掃除は自分に言い訳をしながらいい加減に済ませていた。まあ、気になってはいたものの、見て見ぬふりをして過ごしていたのだから仕方がないのだけれど、しっかりと掃除をしてからでないと夫のシャワー浴を始められなかった。

 

一旦シャワー浴始めると、涼しくなるまでの間、デイケアの日以外は必ずシャワー浴をすることになる。夫は下肢装具を装着し、全介助で立位を保持できるレベルだ。しかも体重は70㎏ぐらいある。シャワー浴をするためには下肢装具は外さなければならないし、狭くて入り口に段差がある我家の浴室で、そんな夫のシャワー浴を一人で行うのはかなりの重労働だ。夫のシャワー浴を済ませると汗だくで、もうぐったりしてしまう。

それならデイケアで週3回入浴しているのだから自宅では全身清拭だけにしておけばいいのかもしれない。だけど、シャワー浴後の気持ちよさそうな姿を見てしまうと頑張ってしまうのだ。まあ、私自身がやってあげたいのだから、いくら疲れても「疲れた」なんて言葉を口にするわけにはいかない。実際にはにこっと笑って「気持ちよかったね」と言いながら頑張るしかないのだ。

 

そんなこんなで7月も今日でお終い。 暑いし、忙しかったし、ぐったりの1か月だったけれど、よく頑張った。「自分で言うな !! 」ってね。

病院受診と新しい主治医

木曜日、夫の3か月に1度の脳外科受診だった。

予約時間はいつも10時30分。その日は10時10分に病院に着いた。

手続きを済ませ、車いすのまま計測できる体重計で体重測定をし、脳外科の前で順番を待った。公立病院では待ち時間が長いと言われているけれど、夫の主治医は診察が早いのか、いつもそんなに待つことはない。ほぼ予約時間には呼ばれ、1、2分で診察は終わる。診察が終わると会計や院外処方箋の手続き済ませ、レストランでコーヒーを飲んで帰る、というのが私たちの病院受診時のお決まりのコースだ。

 

ところが、診察の表示板を見ると9時から9時30分の予約者の診察中になっていた。珍しいことだと思いながら表示板をよく見ると主治医の名前が違っていた。

公立病院の若手や中堅の医師は2、3年で変わる場合が多い。今までの主治医はもう5年ぐらいになり、そろそろ変わるのではないかと思っていたところだった。前回の受診が4月だったのでその時にはまだ退職(移動)は決まっていなかったのかもしれない。

 

夫の手術をしてくれたT医師は夫がリハビリ病院を退院して戻るともう居なかった。

次の主治医はK医師。当時は月に1度の割合でけいれん発作を起こしていたので受診も月1回。なかなか薬でコントロールができず苦労された。でも、11か月後には内服薬が合ったのか、その後はけいれん発作を起こすことはなくなった。そして、その1か月後(主治医になって1年後)にK医師は移動になった。

 

次に主治医になったのはI医師。K医師の時には1時間近く待つこともあったけれど、I医師になってからは早い、早い。30分以上待つことはほとんどなかった。かといって「こんなものか」と思うことはあったけれど、大きな不満もなかった。まあ、「変わりありませんか」「はい」の一言で片づけず、こちらサイドから夫の状態報告をきちんとするようにしていたから。

 

夫の予約時間は10時30分。診察表示板では10時30分から11時ということになる。これなら1時間ぐらいは待つだろうと覚悟し、今度の医師はどんな人だろうと少し心配しながら待っていた。すると「1時間ほど遅れています」と表示だ出た。もう6年ぐらい通っているけれど、こんな表示が出たのは初めてだった。それならと、診察が終わってからレストランへ行く予定だったけれど先にコーヒーを飲みに行き時間をつぶすことにした。

 

予約時間の50分後、待合室前に戻ると、すでに呼ばれた後のようで、通常は表示板に受付番号が表示されるだけなのだけれど、看護師が夫の名前を呼んでいた。私が返事をすると「お待たせしてすみません。次にお呼びしますからね」と言われた。確認すると、もう何度も呼ばれていたという。

 

しまったという思いで待っていると程なくして呼ばれた。

診察室に入ると、今度の主治医は待たせたことを詫びる言葉と自分の名前を名乗った。こちらも不在にしたことを詫び、挨拶をし、診察が始まった。

 そして、前医師からのサマリーがあったのだろうけれど、今までの経過を確認し、麻痺の状態や失語症についても確認。そして、前回行った血液検査の時期も確認し、次回採血の指示が出て、数分で診察は終了した。

 

たった数分のことなのでまだどんな医師なのかは分からないけれど、私たちの顔をしっかり見ながらの診察、今まで聞かれたことがないような麻痺や失語症の程度まで確認されたこと等などを考えるときっときちんとした医師なのだろうと思う。反対に私たちはというと、待てずにどこかに行ってしまうようないやな患者だった。患者が医師や看護師などを観察するように、医師だって患者や家族を観察しているはず。そんなことは承知していたのだから待っていればよかったとちょっと悔やまれた。決して医師からも看護師からも何かを言われたわけではないけれど、不在にしたことで何度も手間をかけたことには変わりがないのだから。

私も外来経験がある元医療職。過ぎたことは仕方がないけれど、これからはトイレに行くときには事務の人に伝え、それ以外は呼ばれるまで待っていることにする。不在だと困るのは分かっているし、新しい主治医とも信頼関係を築きたいと思うから。

絵を描くのもリハビリ

若いころには友人と長電話をしたものだけれど、今は電話が大の苦手だ。

 

月曜日に夫が30年も前に設計管理をさせていただいたお施主さんからももをいただいた。私も何度かお会いしたことがあるし、電話で話したこともある方だからすぐにお礼の電話をすればいいのだけれど、やっぱり電話ができず、今回も夫にももの絵を描いてもらい、それでお礼状を出すことにした。

 

月曜日はデイケアから帰宅するともうくたくたに疲れていた。

夫も私も時間にゆとりがあるのは土日だけ。でも、それまでは待てない。

昨日は午前中は訪問リハビリの日。リハビリ前は私が忙しいし、リハビリ後はすぐに昼食の準備をして、食べたら片付け、そして夫はお昼寝をする。

お昼寝から目覚めればもう夕食の準備を始める時間だ。でも、昨日のうちにどうしても描いてほしいと思っていた。

それで、夕食後のデザートにももを出し、そのあと寝るまでの時間に描いてもらった。

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いくら簡単な絵でも忙しくても描けないし、時間があっても気がのらなければ描く気にならないらしい。

一応、5枚描いてくれたけれど、気乗りがしなかったせいか、本人はどれも今一つみたいだった。それはそうかもしれない。 

 

左は8年前に、右は10年前に描いたもの。

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仕方がないことだけれど、私も「やっぱりずいぶん違うなあ」と思ってしまう。

筆を持つこともできなくなってしまった夫が左手でここまで描けるようになったのだからそれで十分だとは思っているけど。

 

ももを贈ってくださった方はこんな夫のお礼状でも楽しみにしてくださっているという。昨年はお礼状のお礼状を下さり二人で感激したことを思い出した。

 

こうして描くこともリハビリなのだ。そう思うと、ももをいただいた上に絵を描く機会までいただいたことに感謝し、リハビリの成果を見ていただこうと思う。そして、この中から左下のハガキを選び、今日投函してきた。

 

3年前に甥のお嫁さんのお父さんからいただいた鉢植えのユリが咲いた。 

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 放ったらかしだけれど毎年咲いてくれている。これも気が向いて描いてくれるとうれしいんだけれど・・・

連休中のお客さまとごほうび

 世間では3連休だったけれど、我家は通常と何ら変わりがなかった。

土日はどこにも出かけることもなく、二人でのんびりと穏やかな日常を過ごした。

 

そんな私たちにシオカラトンボのお客さま。

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私たちをじっと見ているよう。

トンボはチョウチョと違い、同じところにじーっと止まっている。

 

時々は飛ぶけれど、すぐ上をぐるっと回るだけでまたもとの位置にもどり、いつまでも止まっている。

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窓から見ているだけでも退屈しないけれど、私は意地悪く、外に出て近づいてみた。

やっぱり、ちょっとだけすぐ上をぐるっと飛び回るけれど、すぐにまたもとの位置に戻り、止まったまま動かない。

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私たちは家の中からチラ見しては楽しんでいた。結局、11時少し前から1時過ぎまでの2時間ちょっとの間同じところに止まり、私たちを楽しませてくれた。

 

今日は海の日。祝日だけれど、デイケアは通常通りなので夫は出かけて行った。

昨夜は夜中のうちに雨が降ったらしく、地面が濡れていた。

草はだいぶきれいにはなったとはいえまだ気になる所はある。それに、草取りのほかにも庭仕事はたくさんある。暑いし、どうしようかと迷ったけれど、思い切ってやり始めた。そうしたらもう止まらなくなってしまい、はじめ1時間でセットしたタイマーが鳴ると、もう30分、また鳴ると、あと30分と、結局2時間以上庭仕事をしていた。

 

すると、我家の前に郵便局の車が止まり、中からゆうパックの大きな箱を持った女性が下りてきた。で、やっと切りをつけた。

 

ゆうパックは夫への贈り物だった。先に開けるのも躊躇われ、夫がデイケアから帰宅するのを待って箱を開けた。

わお~!! 

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これは紛れもなく今日の私へのごほうびでもあるのだ。と、いい風にしか考えない。

とはいえ、こんなにあるんだから欲張ってはいけない。いくら大好きなものでも独り占めは良くない。そう思って、自分たちが食べられる分だけ残し、夫の弟と姉のところにおすそ分けに行ってきた。

夏は来ぬ

数日前からセミが鳴きはじめた。

今日も朝早くから公園では暑苦しいほどに鳴いている。

 

庭ではあちこちにセミの抜け殻がくっついている。

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これは昨日撮ったもの。御影石に一つくっついていた。

 

こちらは今朝の写真。アルミの針金で作ったオブジェにもう一つ。

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写真はないけど、地面に転がっているもの、庭木にぶら下がっているものもいくつかあった。

 

数日前にキンカンの花が咲き始めた。

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実はとっても甘くておいしいけれど、私が一つ二つたまに食べる程度なのでまだいくつも残っている。本当は取ってしまった方がいいと思う。だけど、脚立に乗らないと取れないのでそのままにしてある。

 

近づくと甘い香りが漂ってくる。

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 キンカンには日に何度もアゲハチョウが遊びに来る。優雅に舞う姿を眺めていると時を忘れてしまいそうだ。

 

 洗濯物を干しに庭に出ると、高校野球愛知大会のアナウンスや鳴り物の音が遠く運動公園から聞こえてくる。この暑いのにご苦労さまなことだと思いながら、若いころには高校野球だけでなく、同級生の応援に六大学野球も見に行ったことを思い出し、年を取ったものだとはるか昔のことまで思い出した。

 

離れ屋の入り口付近に置いてある水連鉢に見立てた火鉢の中でミニ水連が咲いていた。

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植え替えたり株分けしたり、きちんと手入れすればもっと咲くのだけれど、私の手入れが悪いので咲くのは毎年1輪だけ。もう20年ぐらい放ったらかしだ。

 

旧暦や俳句の季語の世界ではなく、本当に暑い暑い夏がやって来た。

要介護認定

6月に要介護認定の調査を受け、その結果が届いた。今回が4回目の更新で、前回と同じ要介護4だった。

 

初めて要介護認定調査を受けたのは回復期リハビリ病院に入院中だった。

当時、夫より半月ほど前に同じ疾患で入院していた同室の男性が私の目には夫と同レベルの後遺症を抱えていたように見えた。そして、夫より半月ほど前に要介護認定調査を受け要介護5と認定された。他にも周りに同じような状態で要介護5と認定された人もいた。

 

その方の半月後、夫も要介護認定調査を受けた。当時、調査員の方と話をしたとは思うのだけれど、どんな調査だったのか全く記憶がない。

 

当時の夫は洗面は介助が必要。更衣は全介助。尿意はなく、日中はリハビリでトイレに行っていたけれどおむつでの排泄だった。ベッドからの起き上がりも、立位の保持も歩行も介助なしではできず車いすでの生活。食事は見守りで良かったとはいえ、小さく切る、あるいは魚は骨を取るなどの介助は必要だった。入浴もできず、病院でも介助でシャワー浴だけだった。認知面でも認知症とは違うけれど後遺症のため理解力はかなり落ちていた。こうして日常生活行動のほとんどが全介助、あるいは一部介助というそんな状態だったので、当時の厚労省のホームページや他のサイトで介護認定基準について調べてみると、夫の場合はおそらく要介護4だろうと思っていた。

ところが夫の認定結果は要介護3だった。同室者だった方とか、私が同レベルの介護度と感じた人と何が違ったのかは未だによくわからないでいる。

 

介護度に対する気持ちはいつだってとても複雑だ。

介護度が低いということは本来は良いことだと思う。でも、介護度によって受けられるサービスの量が変わってくる。要介護3と4では市から受けられる補助にも違いがある。まあ、デイケアは介護度が高いほど利用料金が上がるので実際はどちらが負担が少ないかはよくわからない。それに夫の場合、要介護3の時も現在も限度額よりかなり少なく介護サービスを利用しているのでどちらでもいいようなものだけれど。

 

夫は回復期リハビリ病院を退院してから尿意を感じるようになった。日中も夜間もトイレ介助が必要なことには変わりはないけれど。認知面も多少は上がったように感じる。

にもかかわらず、2回目も3回目も今回も要介護4の評価だった。まあ、私としてはこれが正しく評価してもらえた結果だと思っているけれど。

 

今回、認定調査を受けてから評価結果が届くまで正直ちょっと心配だった。例え要介護3だったとしても現在受けているサービスを減す必要はないのだけれど。

それでも、今回も評価が自分自身納得できる結果だったのでちょっと安心している。