えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

穏やかな日常

 木曜日は夫の脳外科受診だった。

3か月前に採血した時、コレステロール値が高いと言われ、内服薬が追加になった。

今回もその内服結果を確認するため、受診前に採血があった。

内服薬は私の管理なので飲み忘れはなく、採血結果はすべて正常範囲内になっていた。だからと言って内服薬が中止になる訳ではないけれど、まあ良かったということだと思う。

 

今週は水曜日には雨が降ったけれど、暖かい日が続いていてとても過ごしやすい。それだけでもありがたい。

 

月曜日、公園内を横切ってごみ出しに行くと遊具の上にちょこんとジョウビタキが停まっていた。ごみ出しに行くときなのでカメラを持ってなかったのが残念だった。それに夫を家に残していたので いつまでも見ているわけにもいかずすぐに家に戻った。それでも今年初めてのジョウビタキに会えただけで思わず顔が綻んだ。

 

夫がデイケアに出かけた後、洗濯物を干していると公園のさくらやプラタナスの木にメジロがいっぱい来ていた。

たぶん10羽以上いたと思う。 

f:id:emukobb:20180115100220j:plain

今度は夫が出かけた後だったのでチョコチョコ飛び交っているメジロたちがかわいくて、飛び立ってしまうまで庭からしばらく眺めていた。 

 f:id:emukobb:20180115100235j:plain

 この時期のささやかな楽しみだ。

部屋に戻ると、今度は庭のキンカンメジロがいっぱい来た。

飛び立つときに見るとたぶん10羽ぐらいは来ていたと思う。 

f:id:emukobb:20180115145056j:plain

冬の楽しみはやっぱり小鳥を眺めることだ。

 

火曜日、長男が月曜日にヘルニアの手術を受け、それが無事に終わり退院できたと知った。どんなに手術法が確立されていて安心だと思ってもリスクがないとは言えない。だから無事退院したと聞き本当に安心した。

 

そして今日も。

お天気は良いし、暖かかったし、どこに行くわけでもないけれど穏やかな日常を過ごすことができた。きっと明日も穏やかに暮らせそうだ。というか、暮らせるといいなと思う。いや、穏やかに暮らしたい。

昨日は孫の誕生日と父の命日だった

昨日は上の孫の誕生日で、私の父の命日でもあった。

孫には正月にお年玉と一緒に誕生祝を渡し、喜んでくれるかどうかはわからないけれど、期日指定郵便で昨日届くようにバースデイカードを送った。じじばばのできること、というかやっていいことはこのぐらいのこと。あとはたくましく健やかに育ってほしいと遠くから願っているぐらいだ。

 

父の方は命日が近づくにつれいろんなことを思い出していた。墓参りは先週の木曜日に行きたかったけれど代車だったのでやめ、修理が済んでから出かけようと思っていた。車の修理に取り掛かれるのが工場が始まる5日。それから2週間ぐらいはかかると聞いていたのでお墓参りは1月22日ごろを予定していた。だけど、思ったより早く修理がすみ、先週の金曜日に届けてくれたので今日お墓参りに行くことができた。

 

お墓参りではお線香をあげながら心の中で家族の近況を伝え、感謝して手を合わせるのだけれど、今日はお願い事をひとつ。長男が今日ヘルニアの手術を受けることを伝え、その無事をお願いした。

 

昨日、図書館で借りた本を読み終えた。

この嘘がばれないうちに

以前は読みたいと思えば即買っていたけれど、最近は小説やエッセイは図書館で借りるようにしている。出たばかりの本はかなり待つことになるのが難なのだけれど。

この本はちょうど半年待ってやっと私の番が来た。そして一気に読んで、読み終えたのが父の命日だった。

  

半年前にこちらの本を読み、それで上の本も読みたくなったのだ。上の本はこの本の続編のようなものだから。 

コーヒーが冷めないうちに

過去に戻ることができる(未来へも行ける)という喫茶店での話し。

そこにはいくつかのルールがある。

過去に戻ってもその喫茶店を訪れたことのない者には会うことができない。過去に戻ってどんな努力をしても現実を変えることができない。過去に戻れる席は決まっていて、その席には先客が座っている。そこに座れるのは、その先客がトイレに行くために席を離れた時だけ。・・・・・・・過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、コーヒーが冷めきるまでの間だけ。・・・・・・ 

 どんな人が過去に戻ったのか、過去に戻ってどうしたいのか、どうなったかは読んでのお楽しみだけれど、現実にそんな喫茶店があったのならば私も過去に戻ってみたい。過去に戻り、父に、母に、弟に会いたい、会って話がしたい。そう思ったら、昨日は1日中過去の父に、母に、弟に会い、妄想の世界で話していた。そして、今日はお墓で父とまた話をした。

早すぎる別れ

数日前から蝋梅が咲き始めた。

f:id:emukobb:20180109123440j:plain

洗濯物を干しに近づくと、かすかに甘い香りがする。

黄色のこの花が咲き始めると、まだ寒に入ったばかりなのに春がやってきたような気がして何だ嬉しくなってくる。

 

夫が倒れた7年前、次男の上司の方が「お父さんに」と、起き上がりこぼしのだるまさんを下さった。 

f:id:emukobb:20180110165235j:plain

その方は独身で、おかあさまと2人暮らし。会社では次男のことをとてもかわいがってくださっていたと思う。当時、その方は糖尿病性腎症で透析を導入する寸前の状態だったと聞いていた。ご自身も大変な状態なのにわざわざ仲見世商店街まで買いに行ってくれたそうだ。

しばらくすると透析が開始され、役職をおりて勤務しながら治療を続けられた。

そしてこの間、次男から電話があった時にその方が1月2日に亡くなられた聞いた。90歳になろうとするぐらいのおかあさまを残して。まだ定年前だと思うのでたぶん50歳代だと思う。私よりずっと若い。あまりにも早すぎる別れだ。

 

年末に義姉がゆりの花を持って来てくれた。

暖房がつくことがない部屋に入れておいたので昨日やっと咲き始めた。 

f:id:emukobb:20180109123646j:plain

写真が悪いけれど、真っ白ときれいなピンク色のゆり。このぐらいの時が一番きれいだ。

あと何日かするとこのゆりも満開になり、散っていく。人間もいつかは必ず。

お葬式が営まれた日、東の方に向かい一度もお会いしたことも話したこともない方とそのおかあさまのことを思い一礼した。

いつもの日常に戻りました

12月30日の午前中に長男家族が、翌31日に次男が帰省し、何年か振りに皆が揃ってお正月を迎えた。

私は夫のことの他に大人5人、子ども2人分の食事の準備と山盛りの後片づけ、お風呂の準備、いつもよりたくさんの洗濯、孫の相手などなど、目が回るほど忙しかった。まあ、うれしいというか、楽しいというか、そんな忙しさだったのだけれど。

そして、2日の夕方に次男が、3日の朝のうちに長男家族が帰って行った。

 

子どもたちが帰ると今度は片付けが待っている。

先ずは母屋の片付けから。次男が使用した布団を干し、離れから持ってきた子どもたちのおもちゃや食器類を離れに戻し、掃除機をかけ、フローリングのところはモップをかけ、家じゅうを夕方までかけて元の状態に戻した。

元の状態に戻した我家は落ち着き、ホッとしたのだけれど、同時に静かすぎて、何だか寂しく、人がいなくなった部屋は空気までが冷たく感じられた。それでも子どもたちが「かあさん、ありがとうね」と喜んで帰って行った姿を思い出せば夫と二人して温かな気持ちが蘇り、疲れも飛んでいった。

 

夫のデイケアは昨日、4日から始まった。

29日からずっと自分の時間がなかっただけに「やっと一人になれた」と、夫には悪いけれどすごくうれしかった。

それでも、やることはいっぱい。長男たちが使った敷布団だけを干し、どこかに飛んで行きたい気持ちはあるけれど、代車で行く気にはなれず、歩いて氏神さまへ初詣。

 

帰宅すると、帰省中の甥夫婦と1歳になったばかりの息子たちと一緒に我家へ来てくれると兄から電話があった。

うれしいね。東京から我が家のためにお土産持って来てくれた。 

f:id:emukobb:20180104151032j:plain

若い子のセンスはいいね。

開けるとこんな感じ。

f:id:emukobb:20180104151059j:plain

中身は5種類が2~3個づつ。もう半分ぐらい食べてしまった。

f:id:emukobb:20180104151154j:plain

自分では買うことがないお菓子。味わっていただきました。おいしかったです。ごちそうさまでした。

 

私のお正月はこれでおしまい。

まだ片づけは残っているけれど、いつもの日常に戻りました。

来年もよろしくおねがいします

昨日書いておきたかった事は朝日新聞の月曜朝刊の「歌壇・俳壇」に載っていた投稿作品のこと。以前も書いたことがあるけれど、私は月曜日のそのページを毎週楽しみにしている。

楽しみにしていると言っても俳句や短歌は中学や高校で習った程度の知識しかない。だけど、俳句はたった17文字なのに情景や音までがはっきり浮かんできて本当に感心してしまう。短歌の方は小説やエッセイとは違うけれど、31文字の中にその人の思いや人生までが垣間見え、共感したり、温かい気持ちになったり、時にはその反対のこともあるけれど、どんな方が読まれたのだろうかと想像しながら読んでいる。そして、最近は介護の歌を読むといつも共感している。

 

で、この間の月曜日、高野公彦選の中に東京都の女性が詠んだこんな歌があった。

ごくたまに心の中に忍び寄る鬼には負けず十年介護

 どなたの介護をしてみえるのかしら・・・

ご主人かしら? それともご自身かご主人の親御さんかしら? この歌なら子どもさんではなさそうな気がするけれど。 

介護生活10年か・・・ 私は7年。

忍び寄る鬼がどんな鬼なのかは人それぞれかもしれないけれど、私の心の中にはしょっちゅう鬼が忍び寄ってきます。いいじゃないですか。

この間読んだ曽野綾子さんの「夫の後始末」という本の中に介護はいい加減なぐらいがちょうどいいみたいなことが書いてありました。私はいつだっていい加減です。

でも、心の中に鬼が忍び込んでくるとあとで自己嫌悪になって、ちょっと辛いですよね。

来年はもう少しやさしくしようなんて思ってもきっと無理。いい加減で、元気だった頃と変わらず、言いたい放題だと思う。心の中にはいつも鬼を飼いながらそれでも仲良く頑張るつもり。

 

明日は長男家族が帰省予定。これで年が明けるまでPCも開けないかもしれません。

皆さま今年はいろいろありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

そして、良いお年をお迎えください。

怪我がなくてよかった

夫のデイケアは今日が今年の最終日だった。

昨日は長男家族が気持ちよく泊まれるようにと離れの1階を掃除した。

今日は次男がいつでも帰省できるようにと離れの2階を大掃除する予定だった。

その前にお墓参りだけは行っておきたかったし、生もの以外は買い物を済ませておきたかった。

 

お墓参りを済ませ、スーパーに行く途中、赤信号で信号待ちしていた。その時、反対車線側の角地のお宅から車がバックで出てきて私の車にぶつかった。

片道1車線の道路とはいえ縁石で区切られた歩道がある道路なのでそんなに狭い道路ではない。普通だったら家の側の車線からはみ出さずに出られる幅がある。それがあっという間に反対側の車線で信号待ちしている私の車にぶつかった。で、私の車のヘッドライト回りが酷くへこんだ。割れるほどの所もあったぐらいだ。いくら信号待ちで止まっていたので100:0で相手方の過失だとしてもぶつかった当初はドキドキして震えてしまった。私以上に相手の方もそんな感じだった。

相手の方が警察に電話して、保険会社の方にも電話して、警察が来てくれるのを待ち事情を聞かれ・・・

私の車は福祉車両。代車に福祉車両を探してもらって、修理に出して・・・

2時間ぐらいかかった。

年末だということもあり、修理は新しい年になってから。しかも2週間ぐらいはかかるとのこと。代車も福祉車両は明日になれば1台何とか確保できるけれど、その車種以外は年始にならないと確保できないと。

まあ、怪我がなくて良かったと思うしかない。

 

ブログも書きたいことがあって、半分ぐらい書いて下書き保存してあったのだけれど、そのことを今日は書けなかった。2階の掃除もできなかったし、買い物にも行けなかった。それでも、怪我がなくて良かったと思うことにする。