えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

明日に向けて充電しておこう

夫はデイケア以外の日には必ずと言っていいほどお昼寝をしていた。しかも1時間とか、長い時には2時間以上。それだけ寝ても夜は21時にはベッドに入っていたし、お昼寝をしてくれるとその間は私にとって心身ともに休まるとても貴重な時間だった。

 

それが今年に入ってからお昼寝をしなくなった。車いすに座ったままうとうとしていてもベッドには行かないという。車いすに座ったまま寝ているのだったらベッドで寝るように言ってもダメ。ベッドで横になれば同じところに圧がかからないし、下肢の循環のためにもいいといってもダメ。けんか腰で無理やりベッドに連れて行けば確実に寝ることは分かっている。そして何回かは実際にそうしたこともある。私サイドで考えるなら「寝てくれれば一息つけるのに・・・」と、思う。そう思うとイライラが始まり体に良くない。

 

だけど、寝たくないという大人を無理やり寝かすわけにもいかない。それに、寝なくても体がもつようになったと思えばそれは回復したということでもあり、いいことに違いない。最近ではそう思うことにしてお昼寝に誘導することをやめた。すると、寝ないからといってイライラすることはなくなった。

 

お昼寝をしないと夜は早い。早い日には19時少し前に、遅くても20時には寝てしまう。そうすると夕方からの私はかなり忙しい。16時か16時30分には夕食の準備にかかり、17時から17時30分には夕食。すぐに湯たんぽを準備しながら夕食の片付け、布団乾燥機で夫の布団を温め、夫の歯磨きの介助と磨きなおし。そして何回かのトイレ介助・・・と。食後に一休みすることもできずバタバタと動きまわっている。まあ、そんなことは私だけではなく、子育て中の方たちもいっしょだろうと思うけれど。

 

お昼寝をしなくてもトイレの介助をするぐらいで大層な介護をしているわけではない。だからといって、夫とは違う部屋で録画番組を見たり、本を読んだりしていても常に神経を張り巡らせているようで夕方になるとかなり疲れてしまう。

 

夫が寝てしまうと、それまであれもこれもしたいと思っていた気持ちも、疲れていたはずの身体もどこかへ吹っ飛び、しばらく解放感に浸る。

そして、風呂に入り、炬燵に潜り込み、テレビをつけ、一人の時間を楽しんでいる。

だけど、疲れていることには変わりなく、しばらくするとテレビを付けたまま眠っている。録画を戻し、再度見始めると同じところでまた眠ってしまう。毎日、そんな繰り返しだ。「そんなに疲れているなら炬燵で寝ていないで布団に入ればいいのに・・・」と思う。だけど、せっかくの一人の時間だと思うともったいなくて寝てしまいたくない。

「あ、これじゃあ夫と一緒じゃないか・・・」と、自分に突っ込み、夫が昼寝をしたがらない気持ちも理解できるような気がする。

 

昼寝をしなくなってから約1か月。まだその生活に慣れないけれど、もう少ししたらきっとそういった生活にも慣れ、今ほど疲れなくなるだろうと思う。そんなわずかな期待を持ちながら、穏やかな気持ちで暮らせるようにしていきたいと思う。家での介護は誰に言われたわけでもなく私自身が決めたことなのだから。

 

今日は振替休日だけれど、夫は嫌がることもなくデイケアに出かけて行った。

夫も私から離れ、気晴らしになっているのかもしれないと思いながら、私も自由な時間を楽しもうと思う。明日に向けて充電しておけば、きっとにこやかに過ごせると思うから。

4月からの楽しみはふれあい音楽会

今年も4月になると「ふれあい音楽会」が始まる。

4月から11月までは月2回(8月はお休み)、12月は1回、年15回開催される音楽会は今の私にも楽しめる唯一のことだ。

 

ふれあい音楽会に初めて行ったのは一昨年のこと。

市の広報で案内を見つけた時、私でも行くことができるとすごくうれしかった。私が行ける日は月・水・木曜日だけ。その日であっても時間によっては行くことができない。家を出る時間は9時以降でないとダメ。帰宅は16時が限度。できれば15時30分には家に戻っていたい。そうすると、興味があるものを見つけてもほとんどがダメなのだ。

そんな中、ふれあい音楽会は第2・第4水曜日。時間は9時30分開場の10時開演。終演予定は11時30分。アンコールで延長したとしても午前中には終わる。私にとっては最高の時間だ。

しかもチケットは400円で前売り券には飲み物とお菓子まで付く。それで生の本格的な音楽が楽しめるのだからたまらない。会場は冷暖房はなく、音響効果も良くはないけれど、それでも生で聴く音楽は体にビンビンと響き、いつも豊かな気持ちにさせてくれる。

 

前売りチケットは2か月前から販売される。4月分は2月1日が販売開始だったので早速買ってきた。 

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まだ2か月も先だけれど、とても待ち遠しい。

嬉しかったこと二つ

昨日は結婚記念日だった。

もう40年。親兄弟よりも子どもたちよりもずっと長く同じ屋根の下で暮らしている。

夫が元気だったなら「おいしいものでも食べに行こうか」ということになるかもしれないけれど、今はそんな元気はない。だから記念日だからといって特に何をするわけではないけれど、何だか不思議な縁を思い、この40年を感慨深く思い出していた。

 

そんな昨日、うれしいことが2つあった。

 

私たちの記念日は夫の姉の誕生日でもある。

義母が亡くなり、夫が倒れてからの私たちの生活が落ち着くと、それまでと思うと義姉の足は我家から徐々に遠のいた。まあ、当然といったら当然のことなのだけれど。それでも、1、2か月に1度ぐらいはお仏壇をお参りがてら夫の顔を見に来てくれる。

昨日も「誕生日でお赤飯を炊いたから・・・」と言い、お赤飯とおすそ分けのお菓子を持って来てくれた。他にも、熱田神宮へ参拝に行ってきたからと夫にお守りを、私に犬の根付を買って来てくれた。

お赤飯は義姉の誕生日で炊いたとはいえ、勝手に私たちのお祝いだと思うことにしておいしくいただいた。ありがたいことだ。

 

もう一つは岡崎に住む夫の友人から電話があったこと。

岡崎と豊橋は近いようで遠い。会いたいと思ってもなかなか会えない。彼の実家は豊橋だけれど、親も兄弟も亡くなり今はお墓参りの時ぐらいしか豊橋に来る機会はなくなってしまった。それでも夫のことを気にかけてくれ、たまに電話をしてくれるのだ。

電話があると受話器を夫の耳元にあて、二人で彼の声を聞きながら話をする。夫は「おんなんなん・・・」としか声を発することはできないけれど、会話の内容に頷いたり笑ったりと嬉しそうだった。そして、私のことも褒めてくれ、お世辞だと分かっていても本当にうれしかった。何だか義姉と友人から結婚記念日のプレゼントをもらったような気がして。

自由な時間はすぐ終わる

夫には悪いけれど、いつも月曜日がとても待ち遠しい。

私が自由になれるのは夫がデイケアに出かける月・水・木曜日だけだから。それ以外の日は夫がお昼寝をしている間と、夜寝てしまった後も自由にはなる。だけど、昨年までは必ずと言っていいほど昼寝をしていた夫は今年に入ってから車いすに座ったままうとうとしていてもベッドに入るのを嫌がるようになった。お昼寝をしない日は夜寝る時間は早い。だけどそれまでの時間はすごく忙しく、気持ちまでもがくたくたになってしまう。だから本当はお昼寝をしてほしいけれど、大人が寝たくないというのに無理には寝かせられない。そんな日が金・土・日と3日間も続くと本当に月曜日が待ち遠しい。

 

夫が倒れた時、たとえ寝たきりになったとしても在宅で私が看ると決めた。自由になる時間が無くなるのも覚悟の上。他に手伝ってもらえる人もないから一人で抱えるのも覚悟の上だった。

退院して半年間はデイケアに行っていなかったので夫が昼寝をしている間に慌ててスーパーに行くぐらいで日常の買い物にも不自由だった。美容院にも行けず、家にいる間も常に神経を張り巡らせていた。

それが今では週に3日もデイケアに行くようになり、私はかなり自由になった。それなのに月曜日が待ち遠しいなんて罰が当たりそうだ。

 

今日はそんな月曜日。

日常の買い物以外は特に用事も約束もない。そんな日は夫がデイケアに出かけると一気に気が抜けてしまう。今日も最低限の家事を済ませるともう10時近かった。昨日のうちから何をしようかと考えていたのだけれど。何もできなくても「まあ、いいっか」と開き直り、買い物がてらちょっと遠いけれど「暮らしの手帖」が置いてある喫茶店に行くことにした。もっと近くの図書館に行けば読めるけれど今日はお休みだし、最新号が発売されたばかりだから早く読みたいし、コーヒーを飲みながら読めたら幸せ気分を味わえるし・・・

 

買い物を済ませ、家に戻るともう1時。喫茶店でモーニングの食パンを半切食べたけれど、それだけでは足りないのでお雑煮を作って食べ、そのあとはドラッグストアに注文してあったものが届いたと連絡があったのでそれを取りに行き、洗濯物を取り込み、生協の宅配が届き、布団の水洗いに出すためにほつれを繕っていたらもう3時過ぎてしまった。

 

夫が帰宅するのは4時40分ぐらい。5時から5時30分ぐらいには夕食なので、お茶を1杯飲んだらすぐに夕食の準備に取り掛かる。それでも中断されることなく、自分のペースでできるので私にとってはまだ自由時間のうちだ。

 

夫の帰宅予定時間の10分ぐらい前には外に出て待つことにしている。今日は4時30分には外に出た。

これで今日の私の自由時間はお終いだ。もっと考えて行動すればいいのだけれど、それができなくて、自由になる時間はほんとうにすぐに終わってしまう。まあ、こんな時間が持てるだけでもありがたいことだとは思っているのだけれど。

友だちっていいな その1

日曜日のこと。

年寄り二人、どこに行く予定もなく、CDを聞きながら夫は新聞を読み、私はPCの前に座りぼけっとしながらのんびりと過ごしていた。

そこへ夫の友人が酒まんじゅうを持って遊びに来てくれた。

彼は夫の小学校からの友人で、今でも月に一度ぐらいは顔を見せてくれるありがたい存在だ。

 

夫は倒れて7年。元気だった頃には友人とお酒を飲みに行ったり、喫茶店でおしゃべりしたり、友人宅へお邪魔することもあったけれど、今は外で会うことは難しい。だからこうして会いに来てくれるとすごくうれしいし救われる。まあ、私抜きで話ができたらもっと嬉しいだろうけれど。

 

友人が来てくれたのは10時少し過ぎた頃。持って来てくれた酒まんじゅうを食べ、お茶を飲み、昼ごろまでたっぷりおしゃべりをした。いつもだったら静かで変化のない年寄り二人の生活は一気に明るくなり、他愛もない話ばかりしているのだけれど、夫の顔を見ればにこにこ顔。そして、笑い声もこぼれ、話ができなくても喜んでいることが伝わってくる。そんな姿を見ていると心底「友達っていいな」と思う。

穏やかな日常

 木曜日は夫の脳外科受診だった。

3か月前に採血した時、コレステロール値が高いと言われ、内服薬が追加になった。

今回もその内服結果を確認するため、受診前に採血があった。

内服薬は私の管理なので飲み忘れはなく、採血結果はすべて正常範囲内になっていた。だからと言って内服薬が中止になる訳ではないけれど、まあ良かったということだと思う。

 

今週は水曜日には雨が降ったけれど、暖かい日が続いていてとても過ごしやすい。それだけでもありがたい。

 

月曜日、公園内を横切ってごみ出しに行くと遊具の上にちょこんとジョウビタキが停まっていた。ごみ出しに行くときなのでカメラを持ってなかったのが残念だった。それに夫を家に残していたので いつまでも見ているわけにもいかずすぐに家に戻った。それでも今年初めてのジョウビタキに会えただけで思わず顔が綻んだ。

 

夫がデイケアに出かけた後、洗濯物を干していると公園のさくらやプラタナスの木にメジロがいっぱい来ていた。

たぶん10羽以上いたと思う。 

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今度は夫が出かけた後だったのでチョコチョコ飛び交っているメジロたちがかわいくて、飛び立ってしまうまで庭からしばらく眺めていた。 

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 この時期のささやかな楽しみだ。

部屋に戻ると、今度は庭のキンカンメジロがいっぱい来た。

飛び立つときに見るとたぶん10羽ぐらいは来ていたと思う。 

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冬の楽しみはやっぱり小鳥を眺めることだ。

 

火曜日、長男が月曜日にヘルニアの手術を受け、それが無事に終わり退院できたと知った。どんなに手術法が確立されていて安心だと思ってもリスクがないとは言えない。だから無事退院したと聞き本当に安心した。

 

そして今日も。

お天気は良いし、暖かかったし、どこに行くわけでもないけれど穏やかな日常を過ごすことができた。きっと明日も穏やかに暮らせそうだ。というか、暮らせるといいなと思う。いや、穏やかに暮らしたい。

昨日は孫の誕生日と父の命日だった

昨日は上の孫の誕生日で、私の父の命日でもあった。

孫には正月にお年玉と一緒に誕生祝を渡し、喜んでくれるかどうかはわからないけれど、期日指定郵便で昨日届くようにバースデイカードを送った。じじばばのできること、というかやっていいことはこのぐらいのこと。あとはたくましく健やかに育ってほしいと遠くから願っているぐらいだ。

 

父の方は命日が近づくにつれいろんなことを思い出していた。墓参りは先週の木曜日に行きたかったけれど代車だったのでやめ、修理が済んでから出かけようと思っていた。車の修理に取り掛かれるのが工場が始まる5日。それから2週間ぐらいはかかると聞いていたのでお墓参りは1月22日ごろを予定していた。だけど、思ったより早く修理がすみ、先週の金曜日に届けてくれたので今日お墓参りに行くことができた。

 

お墓参りではお線香をあげながら心の中で家族の近況を伝え、感謝して手を合わせるのだけれど、今日はお願い事をひとつ。長男が今日ヘルニアの手術を受けることを伝え、その無事をお願いした。

 

昨日、図書館で借りた本を読み終えた。

この嘘がばれないうちに

以前は読みたいと思えば即買っていたけれど、最近は小説やエッセイは図書館で借りるようにしている。出たばかりの本はかなり待つことになるのが難なのだけれど。

この本はちょうど半年待ってやっと私の番が来た。そして一気に読んで、読み終えたのが父の命日だった。

  

半年前にこちらの本を読み、それで上の本も読みたくなったのだ。上の本はこの本の続編のようなものだから。 

コーヒーが冷めないうちに

過去に戻ることができる(未来へも行ける)という喫茶店での話し。

そこにはいくつかのルールがある。

過去に戻ってもその喫茶店を訪れたことのない者には会うことができない。過去に戻ってどんな努力をしても現実を変えることができない。過去に戻れる席は決まっていて、その席には先客が座っている。そこに座れるのは、その先客がトイレに行くために席を離れた時だけ。・・・・・・・過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、コーヒーが冷めきるまでの間だけ。・・・・・・ 

 どんな人が過去に戻ったのか、過去に戻ってどうしたいのか、どうなったかは読んでのお楽しみだけれど、現実にそんな喫茶店があったのならば私も過去に戻ってみたい。過去に戻り、父に、母に、弟に会いたい、会って話がしたい。そう思ったら、昨日は1日中過去の父に、母に、弟に会い、妄想の世界で話していた。そして、今日はお墓で父とまた話をした。