えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

お墓参り

明日は夫の父親の命日です。

もう亡くなって27年が経つのです。

えむこは本家の嫁という立場なんだけど、結婚当初は歩いて5分位の所に住んでいて、親とは別居だったのです。

でも、義弟の結婚が決まったので、長男が小学校に入学する年に半同居となりました。(同一敷地内で風呂だけ一緒の生活)

 

夫の家はかなり昔から続いた家みたいで、先祖の記録を見ると一番古い人は文政11年(1829年)に亡くなっていました。

今から183年も前のこと・・・

続いて嘉永、安政、慶応、明治、大正、昭和と続いていて20名もの記録があるのです。

その中で、えむこの知っているのは夫の両親と兄の3人だけ。

夫の家が古くから続いていると言っても、決して由緒ある家柄というわけではないのですよ。ごくごく普通の家なのです。

だから、本家の嫁と言っても特に何てことはないのです。

 

えむこが知っている義父は謹厳実直を絵にかいたような人で、とっても優しい人だったと思っています。(夫が子どもの頃には随分厳しかったみたいですが・・・)

特に孫であるえむこの長男や二男にはとってもいいおじいちゃんでした。

えむこは子ども達が小学校に入学する前はかなり厳しい母親だったのです。

今思い出すと、その頃のことを消したいと思うぐらいぐらにね。

言い訳をさせてくれるなら、子育てに一生懸命だったのです。

とにかくいい子に育てようと思っていたからね・・・

だから、えむこの言うことを子どもたちに押し付ける。言うことを聞かないと怒る。なんてことが日常だったのです。

そんな状態が続いていたら「いい子に育つどころか、精神状態がおかしくなっていたかも・・・」と恐ろしくなってきます。

義父はそんなえむこに何を言うわけでもなく、とにかく子どもたちを可愛がってくれたのです。

子どもたちは優しく接してくれるおじいちゃん、おばあちゃんといると、とっても温かい気持ちになるのでしょうね。

だから、えむこが厳しくても、子どもたちには心のより所があり、逃げ道があったのです。

でも長男が4歳の時、いろんなことが重なって、精神状態に異変が起きてしまいました。

始めは何が何だかわからなかったけど「悪かったのは母親としてのえむこだった」と気が付いたのです。

それを機にえむこは変われたので、長男はあっという間に元通りのかわいい子どもに戻ったのですが・・・

あの時「子どもたちに逃げ道がなかったら・・・」と思ったら、恐ろしくなってきます。

だって、取り返しがつかないことになっていたかもしれないのだから・・・

 

子育てが終わった今、いろんなことを思いかえすと、子どもたちが優しくて暖かい心を持って素直に成長してくれたのは、夫の両親のおかげだったと思うのです。

 

義父の27回忌は義母の1周忌の法要と一緒に行ったけど・・・

ホントは明日の命日にお墓参りに行きたかったけど、明日は行けないので、今日、行ってきました。

お墓で手を合わせ・・・

夫の事、息子たちの事を報告しながら義父を偲び、感謝して・・・