えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

父を思う

今日は父の誕生日です。

とはいえ、もう11年前に亡くなったので現実にお祝いをしてあげることはできないのです。

父は大正6年生まれなので、生きていれば95才。まだ元気な同年齢以上の方々を見ると、父にもまだまだ元気でいてほしかったなあと思います。

えむこは父が大好きだったし「父がいたから今のえむこがいる」と思うと、亡くなった今でも折に触れ父の事を思い出すのです。

昨日は久しぶりに弟から電話があったので、2人でしばらく両親の話をしていました。

 

父はえむこが小さかった頃にはちょっと怖い存在だった気がします。それはその筈でえむこは兄や弟としょっちゅう喧嘩してたからね・・・

でも、小学校の中学年以後にはもうすっかり優しい父でした。

 

母が病気をして、亡くなった時にはまだ56才。今思うと随分若かったと思いますね。

その後は再婚することもなくず~と1人だったので、えむこは父のことばかり気にかけていたのです。

まあ、父が再婚しなかったのはえむこが叔父に言った一言のせいだったのかもしれないのでね・・・

だから、父とは母が亡くなってからの方がずっと親密な親子関係を築いたのかもしれません。

幸い、えむこは実家から車なら10分以内の所に嫁ぎ、夫の理解があったので、その後もず~と父の世話を続けることができたのです。

結婚してからも3~4年ぐらいは実家の仕事を手伝い、父の食事の世話をする生活でした。その頃、夫はまだサラリーマンで「お父さんのことはできるだけのことをしてあげて・・・」と言ってくれたので、そうすることができたのです。

父は60歳代には近くに友人をつくり、ゴルフを始めたり、みんなで旅行に行ったりして楽しんでいたけれど、年を重ねるに連れ、友人と遊ぶことはなくなってきたのです。

その代り、えむこの家に来たり、えむこが父の所に行ったりするのを楽しむようになってきました。

でも、えむこは看護師として再就職していたので会える日が来るのをとても待ち遠しく思っていたようです。

父とは家で話すだけでなく、一緒に喫茶店に行ったり・・・

父の買い物に付き合ってスーパーやデパートに行ったりもしました。

そんなこと書くと、親離れできない娘と子離れできない父親と思われそうだけど、決してそんなことはないのですよ。

えむこは仕事で腹立たしいことがあると、父に「怒れちゃう、怒れちゃう、も~お、怒れちゃう・・・」なんて話すと、父は「怒っていると自分自身の体を傷つけることになるから、そんなに怒らない方がいいよ・・・」と言って、コーヒーをご馳走してくれるのです。

また、えむこが愚痴を言うと聞いてくれ、他にもいろんな言葉を残してくれました。

 

「父が来て今日も教訓置いていく」な~んちゃって・・・

その頃作ったえむこの川柳です。

 

父さんにまた会いたいな~

でも、まだあの世に行くわけにはいかないんだけどね。