えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

昨日の続きです

昨日の続きなんだけど・・・

日野原先生の29日の言葉を読んだ時、すぐに2人の最期が思い出されました。

昨日も書いたけど、29日の言葉は次の言葉です。今日はコメントも書いてみました。

「”ありがとう”の言葉で人生をしめくくりたいものです。」

☆静かに有終の美を・・・☆
いずれは誰もが迎えることになる死。絶望的ないのちの終わりではなく、生きてきたことに感謝し、「ありがとう」と言ってこの世を去りたい。救いとなるような死に様で、有終の美を飾りたいものです。

えむこは看護師をしていたので多くの患者さんからいろんなことを学ばせていただきました。「人生を学ばせていただいた」といっても過言ではないと思うほどにね・・・

だから、何年たっても忘れられない患者さんが何人もいるのですよ。

その中に、この日野原先生の言葉通り「ありがとうございました」と言って亡くなられた患者さんがいたのです。

もう14~15年前の事になりますが、えむこが外科病棟に勤務していた時の事です。その方は胃がんの末期患者さんで、かなりの痛みが出現していました。年齢は今のえむこと同じぐらいか、もう少し若かったかもしれません。お寺の奥さんで、2人の息子さんが遠方で暮らしていました。当時も痛みを抑える薬剤は使っていたのですが、これ以上の苦痛をなくすために、医師が「モルヒネを点滴で投与しましょうか。ただ、モルヒネを投与すると痛みは楽になりますが眠ってしまい、皆と話ができなくなるかもしれませんが・・・」と話しました。

その時、患者さんは「まだ、今はいいです」と言われました。しかし数日後、息子さんたちが面会に来て、帰られた後、患者さんがベッドで上半身を起こして座り、医師とえむこにこういったのです。「もう息子たちにも全員お別れを済ませましたので、モルヒネを使って痛みを取ってください。ホントにありがとうございました」と。それも、手を合わせ、頭を下げて言われたのです。

その方はモルヒネを投与された後、しばらくして傾眠状態になり、それから何日か後、静かに息を引き取られたのです。

えむこは感謝の言葉を述べて亡くなられた患者さんに出会ったのはその時が初めてでした。最期の一言を聞いただけでも「素晴らしい人生を送られたのだろう」と思いましたが、人生の締め括り方を教えていただいたような気がしたのです。そして、何だか感動したことを今でも思い出すのです。

その時から、えむこも感謝の言葉で人生を締め括りたいと思っているのですよ。

 

そして、もう一人は父なのです。

父は84歳2か月で亡くなったのですが、母が亡くなってから病院に受診したことがありません。

その父も83歳頃から少しづつ体調に変化が出始めたのですが、それでも受診しようとはしませんでした。えむこたち兄弟は父の思うように生活することを望み、無理には勧めなかったのです。

父はえむこが行くのを楽しみに待っていて、行くと体調が悪くても「コーヒーを飲みに行こう・・・」とか「買い物に行こう・・・」と誘うのです。

えむこは父の希望通りにいつも一緒に付き合っていたのです。

しかし、倒れる前日は歩くのもままならないぐら体調が悪そうだったので「家でコーヒーを飲もうか・・・」と言うと「いや、出かけよう」と言うのです。抱えるように喫茶店に行き、席に着くと・・・

「えむこには母さんの時も、何もかも、全部世話になったなあ。ありがとうね。」と何度も感謝の言葉を言うのです。

家に帰り、自室に戻ると「本棚の本は図書館に、小銭は善意銀行に寄付して・・・」と、まるで死期を悟っているかのような言葉でした。

あんまり調子が悪そうだったので、受診を勧めると初めて頷いたのです。よっぽど辛かったのでしょうね。翌々日がえむこの休みだったので一緒に病院に行く約束をしたのです。 

でも、父の体はそれまで待てずに翌朝、意識がなくなり倒れてしまったのです。そして、えむこの勤務する病院に救急搬送され、40日後に亡くなりました。

 

父も人生の最後に感謝の言葉で締めくくり、この世を去ったのです。日野原先生が言うように、絶望的ないのちの終わりではなく生きてきたことに感謝しこの世を去ったんだろうと思います。救いとなるような死に様で、有終の美を美を飾ったのかもしれないと・・・

ホントはえむこの方こそ父さんに感謝することばかりで「ありがとう」だったのですよ。

 

倒れてから亡くなるまでの事も書いておきたいのですが、それはまたの機会に書くことにします。

意識のない父が、えむこに無言で教えたかったことかもしれないのでね・・・