えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

停電予告の電話から

だいぶ前のことですが「お宅の近辺で電柱の工事をしたいので、1日停電に協力していただけますか?」と電話がありました。

「・・・協力していただけますか?」と言われて「イヤですと言ったらどうするんだろう・・・」なんて思いながらも「わかりました」と答えました。

そして、工事の日にちが決まったようで、また「お宅の近辺で電柱の工事をしたいので、2月1日の13時30分から16時まで停電に協力していただけますか?」と電話かありました。もちろん「わかりました」と言ったのですが「協力してもらえますか?」という疑問符に「イヤですと言われたらどうするんだろう」と、またもや思ってしまいました。

2月1日は金曜日。我家は13時から13時40分まで訪問リハビリの日です。10分間、リハビリとかち合うけど、10分間ぐらいは何とかなるでしょう。

夫はリハビリが済めばいつもお昼寝をしているので、その日もベッドでお布団にもぐってもらえば寒さはしのげます。

ホントは月・木のどちらかだと有難かったんだけどね・・・

問題はえむこ。

停電といえば照明はもちろん、エアコンも石油ファンヒーターもこたつも使えません。PCもテレビもビデオもダメだから、日当たりがいい明るい部屋で本でも読んでいようかしら・・・

それともお布団敷いて夫といっしょにお昼寝がいいかしら・・・

はたまた庭で草取りでも・・・

なんて、今からどうしましょう状態です。

だけど、えむこが小学校に入学したころは、照明は裸電球1個の時代。暖房だって、火鉢1つ。袢纏や丹前を着たりして寒さをしのいでいたのです。テレビだってなかったし、もちろんビデオだって・・・

だからもちろん、えむこだって我慢はできるのですよ。たかが2時間半のことだもの。

だけど、電気ってホントに有難いものですよね。

えむこなりの節電はしているけれど、全く電気のない生活はやっぱり辛いものがあるのです。

停電予告の電話を受けて、たかが2時間半の停電中もどうしようと考えてしまうえむこですが、震災の後、寒い地方で悲しみを抱えたまま、何日も電気がない状態で暮らさざるをえなかった多くの方たちのことを思い出し、今また甦って胸が痛んでくるのです。