えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

Oさんが幸せになりますように・・・

昨日・今日と夫の訪問リハビリの日でした。

「最近、ちょっと良くなったかも・・・」なんて思っていたのに、昨日も今日も歩行訓練の時に患肢が思うように上がらないのです。かなり姿勢が悪いので、それが一番の原因なのかもしれません。

リハビリでは「3歩進んで、2歩下がる・・・」なんてこともあるでしょう。でも、昨日も今日も2歩下がるどころか5歩ぐらい下がってしまったような感じでした。えむこはちょっとがっかり。でも、本人が一番ショックだったみたいで、歩行訓練が終わった後、下を向いてショボンとした顔になったのです。えむこは「こういう日もあるよ。また頑張って自主リハをしよう・・・」と明るく話しました。

まあがっかりしていても始まらないし、少しづつ、少しづつでも頑張るしかないと思うのです。 

 

こんな書き出しになってしまったけれど・・・

実は今日はそんなことを書こうと思っていたわけではないのです。

訪問リハビリを始めて2年近くになると、リハビリ中にPTと関係ないおしゃべりをすることもよくあります。今日はPTのSさんとのおしゃべりの中でお世話になった方の話が出てきたのでそのことを・・・

 

PTのSさんはこの間の日曜日に友人の結婚式に出席したそうです。友人はPT仲間。花嫁はなんとえむこたちが回復期リハビリ病院でお世話になったMSW(医療ソーシャルワーカー)のOさんだったというのです。

回復期リハビリ病院では医師、看護師、介護士、PT、OT、ST、MSWがチームを組んで受け持ち患者の支援をしていました。そして、Oさんは夫の担当のMSW。若くて、かわいくて、一生懸命な方でした。

MSWの役割は重要で、その関わりによっては退院後の生活に大きく影響すると思います。えむこはかなり自分でも調べていたけれど、それでもOさんには一方ならぬお世話になったのです。

夫が倒れたのは2010年9月29日。自営業だった夫はその日から無収入になりました。その時はえむこが働いていたので、すぐに生活に困ることはありませんでした。でも、入院は最長で6ヶ月。その後は介護が必要になることは明白でした。もちろん、施設に入所という選択をすれば働き続けることはできたと思います。でも、えむこにはその選択肢はありませんでした。そうすると退院後は絶対に仕事を続けることができません。

収入面を考えると、2人とも60歳以上だったけれど、65歳にはなっていなかったので年金は満額支給ではないのです。どうやって暮らそうかと心配が絶えませんでした。多少の預金はあったとしても・・・

もちろん障害年金についても調べて、書類も年金事務所でもらってありました。でも、通常は発症から1年6か月後の申請なのです。ただし、6カ月たった時点で医師が症状固定と判断すれば申請は可能です。

Oさんはすごく若いMSWだったので、正直初めはこういった収入のことや生活のことを相談しようとは思いませんでした。

でも、いろいろ聞いてくださる内にえむこはOさんに話すようになりました。障害者手帳の申請のこと、障害年金の申請のこと等々・・・

夫の退院は発症から約6ヶ月後。書類の申請には微妙な時期なのです。6カ月経っていなければ申請はできないのですから。

退院後になると、その後通院する病院で書類を書いてもらうことになるのです。そうすると、書類が遅れる可能性がすごく高くなるのですよね。

それで、Oさんの計らいで退院日をえむこの希望通りに調整してくれました。まあ、書類のことだけでなく、えむこは職場に迷惑をかけないように年度末まで働きたかったこともあるのですが・・・

そして、医師やPTにも話しをしてくれ、入院中にすべての書類を準備してもらえることになったのです。

そのおかげで、退院の翌月には障害者手帳の申請も下り、翌々月には障害年金の書類も下りました。それで、今の生活ができるようになったのだと思っているのです。

こうして、えむこたちに関わってくれたOさんが結婚されたという話を聞いて、もうお会いすることはないかもしれないけれど「末永くお幸せに・・・」とOさんのウェディング姿を思い浮かべながら、心の底から幸せを願っているのです。