えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

懐かしい友人のこと

毎週木曜日、朝日新聞の夕刊に「人生の楽園」という記事が掲載されます。そして、この記事はテレビ朝日系で放送される「人生の楽園」という番組と連動しています。

東海地方では木曜日に掲載された記事が、土曜日の夕方6時からメ~テレで放送されるのです。

「人生の楽園」は番組案内によると、

がむしゃらに働いてふと立ち止まった時、別の人生を歩いてみたい・・・

心からいいなと思える充実した時間を過ごしたい・・・

そんな思いを抱いている大人に向けてのいい人生の歩き方発見番組なんだそうです。

若い人に交じって農業大学に通い、農業を始めた方。田舎に移住してそこで第二の人生を始めた方。農家民泊や古民家民泊を始めた方。パン屋さん、お蕎麦屋さん、ステーキ屋さんを始めた方等など、いろんな方の人生を紹介しているドキュメンタリー番組です。

自分なりの人生を考え、それに向かって一生懸命頑張っている人たちはとってもステキです。そして「すごいなあ」とも思います。えむこにはそんな人生は送れないけれど、観ていると「頑張ろう」という力をもらえるような気がしてくるのです。

だから、新聞記事も楽しみに読んでいるし、テレビも忘れないようにいつも観ています。録画まではしてないけれど、好きな記事であり、好きな番組のひとつなのです。

そして、先回は東京都羽村市で「茶房きると」というパッチワークキルト教室と喫茶を兼ねたお店を始めた方の話でした。

もちろん、いつものようにその方の人生の一部に触れることで、番組の意図である「いい人生の歩き方」を考える機会にはなりました。

でもね、今日はその番組の内容について書こうと思ったわけではないのです。前置きが長くなってしまったけれど・・・

実は、東京都羽村市には看護学校時代に仲良しだったOさんが住んでいるのです。だから「東京都羽村市」という地名を聞いただけで反応し、いつもよりもっともっと番組に興味を抱きながら観ていたのです。

 

Oさんは長野県出身。1年生の時、えむこと同様寮に馴染めず、一緒に下宿を探し寮を出ることばかり考えていました。結局、えむこは自宅から通学したけど、Oさんは2年生から下宿生活を始めました。そこは今の学生では考えられないような共同トイレ、共同台所の下宿でした。それでも、35畳に7人部屋というような寮生活よりずっと居心地は良かったのだと思います。えむこはそこに時々泊めてもらっていたのですよ。

Oさんは看護学校卒業後、東京で就職し、東京出身の彼と結婚しました。そして二児を出産。その後、羽村市に居を構えたのです。

最近では年賀状ぐらいのお付き合いになってしまったけれど、看護学校を卒業後も一緒に東北旅行に行ったり、出産後は子どもさんの写真を送ってくれたりと、手紙のやり取りは続いていたのです。

えむこは羽村市には行ったことがないけれど、Oさんが住んでいるというだけで番組内で映される映像に釘付けです。Oさんのことを思い出しながらテレビを夢中で観ていました。東京といっても羽村市は自然豊かな所なんんだよね。

多摩川沿いの遊歩道、Oさんも歩いたことがあるかしら・・・

夫が倒れたのを知ってから手紙をくれた時、ご主人のお母さんかお父さんか忘れたけど、介護してるって聞いたけど、元気にしてるかな~

同じ市内といっても遠いかもしれないけれど、番組で紹介していた「茶房きると」のこと、知ってるかな・・・

なんてね。

テレビを観ていたら、Oさんのことを思い出し、何だか無性に手紙が出したくなってきました。手紙と言ってもいつものように夫の絵を使ったハガキだけどね。

今日はその中から紫陽花の絵を選んでハガキを作成しました。

明日はそれでOさんにお便りする予定。今日はいつものテレビ番組から、思わぬ楽しみをいただいた気分です。