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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

お義母さん

家族

私の周りには9月生まれの人が多い。もうこの世にいない人も含めてだけど、私の母、長男のパートナー、甥っ子ばかりの中で紅一点の姪、夫の母、そして私と。

毎年、それぞれの誕生日には、それぞれの人のことを考えたり、思い出したりしている。

そして、今日は2年前に亡くなった夫の母の誕生日。

去年も義母のことを書いたけれど、今年もやっぱり義母のことを書いておこうと思う。

 

私が夫と結婚した時、義母は61歳だった。

当初、私たちは歩いて5分程度の今義弟が住んでいるところに住んでいた。そして6年後、義弟の結婚にあたり、私たちは夫の両親と半同居となり、義父が亡くなってからは同居した。同居といっても、食事と風呂は一緒だったけれど、寝る時は離れと母屋という生活だった。

それから、義母が96歳で亡くなるまで、少しづつ暮らし方は変わったけれど、トータルでは35年間の付き合いだったことになる。

だけど、初めから最期まで、心を許してもらえなかったような気がしている。別に意地悪されたことも、悪口を言われたこともないけれど、特にかわいがってもらった記憶もない。まあ、私にだけではなく、自分の子ども以外は誰にでもそんな風だったのだろうと思うけれど。

 

義母は93歳ぐらいからポータブルトイレを使い始めた。その頃、私が片づけしようとすると「〇〇(夫)がするからいいよ」と言い、私にさせようとしなかった。

私が買い物に行く時、欲しいものがあれば買ってくるよ」と言っても、義母はいつも「ありがとう。だけど、いいよ」と言い、私には絶対に頼むことはなかった。そして、夫や義姉に「〇〇を買ってきてほしい」と頼んでいた。夫に頼めば、結局、夫が私に「母が〇〇が欲しいと言っているから、買ってきて」と頼んでいたけれど。

 

そんな義母がまだ80代後半の頃、近所の人からこんなことを聞いた。その方が義母と病院で会った時「息子さんが優しくて、何でもしてくれるそうでいいですね」と言ったそうだ。すると、義母が「息子がしてくれるのは当たり前だけど、嫁が優しいから嬉しい」と言ったとか。

義母の本心か、近所の方への見栄だったのか、それは分からないけれど、私にとってはすごく嬉しい言葉だった。その後も相変わらず私に頼ることはしなかったけれど・・・

 

Yちゃんのお義母さんは自分の息子には頼まず、何でもYちゃんに頼むそうだ。もちろん、下の世話も。それがYちゃんにとってはかなり負担だと言う。

だけど、義母は嫁には世話になりたくないと思っていた。だから、何にもさせてもらえない。そして、いつも義姉に「えむこさんには世話をかけないように」と言っていたと言う。

そんな義母の気持ちが分からないではない。だけど、家族だから何でもやってあげたいと思っていた者にとっては、やっぱりちょっと寂しいことだった。

それでも、夫が倒れてからは、仕方がないと思ったのか、私にも身を委ねるようになった。トイレ介助や車いすへの移乗の時には「えむこさんは力があるね。Y江(姉)もY雄(弟)も力がなくてなかなかできないんだよ」と言いながら。ホントは嫌だったかも知れないけれど。

私は元看護師だから、力があるわけではなく、やり方を知っているだけ。だから、義母の介助も嫌ではなかった。

夫が倒れてからの3か月ぐらいは、ショートステイから帰ってきた時にはお世話をさせて貰った。「嫁には世話になりたくない」と思っていた義母だったけど、私は近所の方から聞いた義母の言葉があったから、精一杯お世話ができたと思っている。

 

あれから、もう2年5か月の月日が経った。

 

庭には花好きだった義母が育てた植物がまだまだたくさんある。今日は義母のことを思いながら、庭をぐるりと回ってみた。すると、義母が好きだった小菊がまだ固いけれど蕾を沢山つけていた。

これが咲いたら、まずは仏壇にお供えし、お墓にも持って行こう。