えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

やっぱり断捨離は無理

私は子どもの頃から、あまり物を欲しがらない方だと思う。

だけど、気に入ったものには執着があり、なかなか手放せない。そして、古いものが好きで、両親の持っていたものにも執着があった。

他にも、自分のために買った物ではなくても、捨てられないものがたくさんある。普通はその役目が終われば処分されるようなものであったとしても。

例えば、母が女学校時代に使っていた硯箱、父の硯。自分のものでは中学生の頃使っていたセルロイドの筆入れ。子どもたちが小学生の頃学校で購入した裁縫箱にピアニカ、書道用具等など・・・

 

義母は義父と結婚した当時、戦時中の物がない時代というだけではなく、かなり貧乏だったという。

両親(夫の祖父母)と同居だった家には床に畳はなく、ゴザを敷いた部屋で暮らしていたそうだ。食器類も、自分たちの茶碗と湯呑だけ。もちろん、布団も。だから、知人が祖父を頼ってきた時には、客用の湯飲みもなく困ったと言っていた。

だからと言って、義母は少しゆとりができると物を買うようになった。客用の布団や毛布を揃え、食器類もセットで買った。衣類もシーズンごとに新しいものを買い、台所道具、畑や庭で使う道具類も欲しいと思えば買っていた。外食したり、旅行に出かけたり、他に贅沢することもなく、ただ物を買うことが楽しみだったと思う。

義母が亡くなった時、衣類は義姉に任せ、殆ど処分した。だけど、未だ処分できずに物置や押し入れに置いてある物もある。

 

夫は脳出血で倒れる前は自営業。自宅母屋の1室に事務所を構え、仕事をしていた。そこには仕事上必要なものが溢れんばかりに置いてあった。実際には1室だけでは足りず、離れの方も使っていた。

車いすでの生活を余儀なくされた夫は、リフォームをしなければ家で生活することが困難だった。リフォームをするにあたり、その時、事務所に置いてあったものを離れや物置に移動させ、とりあえず片付けた。古いカタログや雑誌類は処分したけれど。

 

私は物を買わない方だと言っても、それなりに物は増えている。そして、そんな物たちが離れや物置に溢れている。

 

片づけコンサルタントの近藤麻里恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」という本がミリオンセラーだとか。以前、TBSの「金スマ」という番組でも見たけれど、この間の金曜日には、その本をもとにしたドラマを放送していた。

片づけは「人生に片をつけること」、「片付けは人生を変える」と言い切っていた。

「いつか使えるかもというものは絶対に使わない」捨てる基準はモノを手にした時にときめくかどうかで決めるのだと。

片づけの順番は衣類から。次に本、そして書類、最後に思い出の品へと片付けをする。書類は基本、全捨てで、モノを処分する時には「お役目ありがとう」と言って処分するのだとか。

そして、残したものには帰る場所を決めてあげれば二度と散らかることはないそうだ。

 

私は決して片付けることが嫌いなわけではない。むしろ、片づけや整理整頓は好きな方だと思っている。今はイライラするぐらい片付かないでいるけれど。もちろん、ゴミ屋敷というわけでもない。だけど、溢れるモノたちに今は手が出せないでいる。それに、自分一人のものばかりではないし・・・

 

明日、大工さんが物置の修理に来てくれることになった。明日に備え、物置の中を眺めながら、とりあえず邪魔になりそうなものを離れに運んでおいた。

「お役目ありがとう」と言って処分できれば、どんなにすっきりするだろうと思いながらも、やっぱり修理が終われば、また物置に戻しそうだ。

それで、人生が変えられなくてもいい。モノがときめくかどうかを考えている暇はないから。