えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

古い日記帳

私は子どもの頃から日記を書いていた。と言っても、子どもの頃はいつも三日坊主だったけれど。まあ、三日坊主と言っても、1ヶ月、2ヶ月、ひょっとしたら、もう少し長い期間、飛び飛びで書いていたかも知れない。そして、書いては処分し、また書いては処分するという繰り返しだった。

紙と鉛筆があれば、やたら絵を描く人がいるように、私の場合はそれが「字」だったのかも知れない。日記に関して言えば、何かを記録しておくことが好きで、それは趣味みたいなものだったのだと思っている。

結婚当初も家計簿をつけながら、日記も書いていた。でもある日、引出しにしまっておいた私の日記を夫が読んでしまったのだ。当時は心の内も書いていたから、私もショックだったけれど、夫はその内容にそれ以上のショックを受けていた。

私としては、夫を傷つけるなど考えてもなかったこと。ひどいことを書いた覚えもなかった。でも、夫は傷ついていた。だから、日記を読んだことを責めることもできず、傷つけてしまったことを後悔した。

自分は日記を書くことで、自分の気持ちを整理し、そこで終らせていたのだと思う。でも、読んだ人はそこからが始まりになるのだと知った。

だから、それ以来、日記というものが怖くて書くことができなくなってしまった。

でも、やっぱりしばらくすると、書かずにはいられないのだ。だって、趣味みたいなものなんだから・・・

日記は見られるのも嫌。傷つけるのも嫌。だけど書きたい。だから今度は見られてもいいようにと家計簿を中心にし、日記は数行だけ書くことにした。どこどこに行ったとか、誰と会ったとか。そして、嫌だったこと、腹が立ったこと、辛かったこと、悔しかったこと等など、心の内は書かないようにした。私にはそれでも十分だったから。

その日記帳がもう20冊以上。5年日記も含まれているから年数にすると25年以上書いてあることになる。それプラス、長男の育児日記が5冊ほどある。

それらを今のうちに自分の手で処分しておこうと考えているけれど、それがなかなかできないでいる。

昨日、長男の誕生日だったことを書いた。

数年前、長男がフェイスブックに子どもの頃のことを殆ど覚えてないと書いていた。それを読んでから、彼が知らないことを自分が生きているうちに伝えたいと思うようになった。

それで、今年も当時の育児日記や古い家計簿兼日記帳を読み返していた。長男に今年伝えたいことをメールした後も、何年分も読み漁ってしまった。

すると、忘れてしまっていた当時のことが甦ってきた。

私は結婚前に母が亡くなり、それをかなり長い間引きずって生きてきた。寂しくて、寂しくて「母が生きていれば・・・」と思いながら暮らしていたことを。

二男が生まれて、しばらくした頃の日記には、そんな思いばかりが書かれていた。そのなかで「Yちゃんがかぼちゃを煮て持ってきてくれた」とか「Yちゃんが買物に行ってくれた」とか「Yちゃんが来てくれた」と、高校時代からの友人Yちゃんのことが毎日にように書いてあった。当時、Yちゃんは歩いて7~8分ぐらいの所に住んでいたから、手助けしてくれたのだと思う。忘れていたけど、こうして読み返してみると「ずいぶん助けてもらっていたんだ」と涙が溢れてきた。Yちゃんとは子どもたちが成長してからはたまにしか会わない。だけど、今でも一番親しい間柄だ。

それで、今日は無性にYちゃんと会いたくなって電話をしてみた。でも、今日はご主人と1泊で温泉旅行に行く予定だそうで、残念だったけれど会えなかった。まあ、近いうちには会えそうだったから嬉しかったけれど・・・

他にもここに書ききれないほどの思い出がいっぱい出てきた。

日記帳は処分する予定ではいるけれど、一通り読み返してからにしようと思っている。だから、もう少し先延ばしにするつもりだ。