えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

父のこと

母が54才になったばかりで亡くなったことは今までに何度か書いた。その時、父は56歳と10カ月だった。

54歳という年齢も、56歳という年齢も、今思えば若すぎる。

母が亡くなり、一人になった父はかなり寂しかったようだ。それまで外に遊びに行くことなどなかった父は、近所のお寿司屋さんに飲みに出かけるようになり、そこで知り合った人たちと旅行にも行くようになった。

父が遊びに行くことで寂しさを紛らわすことができるのなら、私はそれでいいと思っていた。

でも、亡くなって1年ぐらい経った頃だろうか、父に再婚の話があったようだ。父は私に何も言わなかったけれど、母方の伯父から「父さんに再婚の話があったらどう思う?」と聞かれたから。

その時、私は26歳。子どもの頃から母が大好きで、その母が亡くなった悲しみから癒えることはなく、毎日悲しみに明け暮れ、寂しさに耐えていた頃だ。

だからと言って、26歳はもう大人と言われる年齢だ。父親が望むなら、再婚に反対することはできない。でも、正直に言うと、ものすごく嫌だった。それで、叔父には「再婚したいと言われれば反対はしないけれど、再婚すれば多分家には寄りつかないと思う」と言ってしまったのだ。

叔父が再婚を勧めたのか、父が再婚したいと言ったのか、私は聞くことをしなかった。そして、兄や弟にも聞いたかどうか確認をしなかった。だけど、私のその言葉はおそらく父の耳に入ったのだと思う。その後、再婚の話は誰の口からも出ることがなかったから。娘では父の寂しさを埋めることなどできもしないのに。

父が再婚することは理屈ではなく嫌だった。だけど、私が放ったあの言葉のせいで父の幸せを奪ってしまったのかもしれないとも思った。だから、父が亡くなるまで、少しでも寂しい思いをさせないようにと思っていた。

60代の頃の父は、ゴルフや旅行、食事会と遊んでいたからまだよかった。だけど、年齢を重ねる毎に寂しさは募っていったようだ。だから、70代から82歳で父が亡くなるまで、ずっと時間が許す限り父と過ごした。

実家に行ったり、我家に招いたり、一緒に喫茶店にコーヒーを飲みに行ったり、ランチに行ったり・・・

でも、それでよかったのか、今でも分からない。亡くなる前には「よかった・・・」と言ってはくれたけれど。

明日は父の誕生日。亡くなった人の年を数えても仕方がないと思いながら「96才になるのか」と、また数えていた。母が亡くなってから父と過ごした日々を思い出しながら・・・

たぶん、この世に私の生がある限り、誕生日と命日には父のことを思い出すだろう。

明日は夫がデイケアの日。庭の花を持って、父さんのお墓参りに行ってこようと思っている。