えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

失語症は悲しい

一口に障害といっても、いろいろな障害がある。

そして、生まれた時から障害を抱えている人もいれば、幼少のころからの人、少年期、青年期、老年期からの人と、障害を抱えた時期も違えば部位や程度も多種多様だ。一人として全く同じということはないと思っている。

だけど、若くても年を取っていても、重度であっても、軽いと言われている人であっても、みんな悩んだり、苦しんだり、辛い思いをしたり、悲しかったりしたことがあると思う。本人だけでなく家族も。そして、障害の数だけそんな思いがあると思っている。今は吹っ切れて前を向いて生きている人であっても。

夫の場合は61歳の時脳出血で倒れ、右半身マヒと失語症、そして高次脳機能障害が残った。夫は自分の気持ちを話せないけれど、私たちもそんな思いをして暮らしてきた。そして、今でもそんな思いをすることがある。

以前、一つだけ何か望みが叶うなら「夫に言葉を返してほしい」と書いたことがある。

何度も書くけれど、夫は入院中には単語さえも発することができなかった。口から出てくる音は「う~」という唸るような音だけ。退院後、それでも「お」と「な」と「ん」だけは発音できるようになったけれど、3年経った今もそれは変わりがない。

退院前に主治医から「言葉の回復が一番遅く、2年以上経つとそれ以上の回復は望めないと思う」と言われた。

失語症にもいろんなタイプがあって、夫の場合は多分運動性の失語症。読む方と聞く方は理解できるが、話すことができないというタイプ。読む方も聞く方も理解ができるといっても100%ではなく、多分80%ぐらいだと思う。

例えば昼食の前に「なにを食べる? スパゲッティーがいい? うどん? それとも豆腐でご飯?」と聞いても、言葉だけでは理解できないから。実物を見せれば手で示すことができるけれど・・・

それが、話す方になると全く言葉にはならない。

最近、夫は何かを話そうとすることがあるけれど、いつも「お・ん・なん・なん・なん・・・」だけ。

 

今日は久しぶりに夫の先輩Kさんがたくさんのみかんを持って来てくれた。

Kさんは奥さんの実家がみかん農家なので、毎年この時期には週末に収穫の手伝いに行っているのだ。そして、我家も毎年その恩恵を受けている。

夫はKさんに何かを話そうとするのだけれど、やっぱり口から出る音は「お・ん・なん・なん・なん・・・」だけ。そんな時、聞く方のKさんは戸惑ったような顔になってしまう。気持ちが伝わらないのは気の毒だと思うけれど、理解してあげることができない方も辛いのだ。だから私が「ごめん、分からない」というしかない。すると夫はいつも苦笑いをして諦めたような顔をする。

デイケアでも時々何かを話そうとするみたい。だけど、言葉にならないのだから理解できるわけはない。職員の方が1時間ぐらい何を言おうとしているのか聞いてくれたみたいだけれど、分からなかったと言われた。

この間もデイケアの帰りのバスで介護士さんに何かを話そうとしたようだが、やっぱり分からなかったみたい。介護士さんから「分かったら教えてください」と言われたけれど、私にだって分からない。分かってあげたいと思うけれど・・・

夫が言葉を失って3年と3ケ月。私は夫の話し声を忘れてしまいそうだ。

我家には夫が話しているDVDが1枚だけある。長男の結婚式の時、彼女の親戚の人が撮影してくれたビデオテープをDVDに移したものだ。

今日は何だか夫の話しているところが見たくなってPCで見てみた。親族の紹介と親族代表の言葉と少しだけ雑談が入っている。

私が見ていたら、夫も一緒になって見はじめた。二人で笑いながら見ていたけれど、もうこんなおしゃべりができないと思うと何だか悲しい気がしてきた。二人して声を出して笑っていたけれど・・・