えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

いつかがあるかも知れない

夫の退院と同時に私は仕事を辞めた。そして、それまで離れで生活していたけれど、母屋へと生活の場を移した。

我家は離れの方が母屋より総建坪は広いし、私にとっては居心地がよく使いやすかった。だけど、夫が車いすで生活するには母屋でなければならなかったのだ。

あれから2年と8か月。

私はずっと離れで暮らしていたから、初めは自分の居場所がないような気がして落着かなかった。それでも徐々に自分の居場所もでき、最近になってやっと慣れてきた。

だけど、母屋は決して広い家ではないので、私のものは殆どが未だに離れに置いたままになっている。しかも2階に。

だから、自分のものが必要になると、離れの2階まで持ちに行き、必要がなくなるとまた置きに行くという生活だ。

衣類も洋服ダンスと整理ダンスに入るだけ母屋に置いてある。

仕事を辞めたから、出かけるといってもたまに友人とランチに行く程度。元来、おしゃれには縁のない生活だったので、それで十分ではあるけれど。

それでも、季節ごとに入れ替える時、その季節に着るものを離れに何着も残したままにしている。仕事に出かけるわけでもないから、とっかえひっかえ着ると、着たものは洗濯しなければならないから。

それなら、着ないものは処分すればいいと思うけれど、まだ着られるものはやっぱり処分することができないのだ。

毎年、寒くなるとセーター類を持ってくる。

離れのタンスの中には10年ぐらい前に冬の終わりのバーゲンで買ったものがある。買ったものの何年も着ることはなくタグが付いたままになっていた。5年ぐらい前にタグだけは取ったものの、験しに袖を通したけれど、やっぱり着る気にならずタンスの肥やしにしていた。

まだタグを付けたままにしていた頃「このセーターはもう一生着ないかもしれないからバザーに出そうか」と思った。でも、バーゲンとはいえ厚手のウール100%のセーターだったから、もったいなくて出せなかった。

それが、今年はそのセーターを着てみようという気になった。とはいえ、ちょっとクラシカルな感じだから、外には着て行けないかもしれないけれど。

そして今日、初めてそのセーターを着てみた。10年前のそのセーターは、今まで着たどのセーターより温かくて着心地がいい。それにウール100%だから何より静電気が起きなくてとってもいい。

こういうことがあるから「着ないから」とか「ときめかないから」と言っても、やたらに処分することができないのだ。

破れたり汚れが取れなくなったらもちろん処分するけれど、置いておくスペースさえあればやっぱり大事にとっておこうと思う。

いつか着ることがあるかもしれないから・・・