えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

頑張れるところまで頑張ろう

子どもたちがまだ保育園にも行ってないぐらい小さかった頃、当時サラリーマンだった夫には家のことなど何一つとして頼めず、一人で奮闘していた。

その頃、子どもたちがお昼寝をしている時だけが自分の時間だったにもかかわらず、一緒に寝てしまうぐらい肉体は疲れていた。

そして「早く楽になりたい・・・」と思い、保育園に行くようになる日を待っていた。

 

子どもたちが保育園に入ると、私は一人で行動できるようになった。その頃、再就職をしたので相変わらず肉体は疲れていたけれど。

子どもたちは確実に成長し、私は楽になったかのようだった。

今思うと、子どもたちが小学生の頃までが一番楽しかったような気がする。

中学生になると、親離れが始まり、高校生の頃には自分たちの世界が広がり、高校を卒業すると輝かしい未来かどうかわからないけれど、親元から飛び立って行ってしまった。

勝手なもので「楽になりたい」と思っていた頃が懐かしく「もっと手を掛けさせてほしかった」とか「教えなければならないことがまだたくさんあったのに・・・」という思いが、いつまでも心から離れなかった。

子どもたちは自分たちの未来に向かって巣立って行ったのに・・・

 

今、私は夫と二人暮らし。

子どもたちが小さかった頃と同じように、夫がお昼寝している時と寝てから、そして月・木にデイケアに行っている間が自分の自由時間。あとの時間は全て夫の介護が中心にある。

例えば、夫が「トイレに行きたいのでは・・・」と思えば、洗濯物を干していても、食事の準備をしていても、何をしていても中断し介助をするみたいに。テレビだっていつもいいところで中断している。ある程度は自由に行動できるけれど、頭の中や耳はいつも夫の気配を意識しながら生活している。

 

子どもたちは確実に成長し、嫌でも親の手を振り払って飛び立っていく。自分たちの未来に向かって。

でも、夫は今より飛躍的によくなることはないだろう。少しは良くなるかもしれないし、なって欲しいと願っている。だけど、年齢は着実に進むのだから、私の介護はますます増えていくだろう。だけど、あの頃と違い「楽になりたい」なんて言葉は口が裂けても言えないでいる。楽になるという言葉の先にはどちらかの死ということしか浮かんでこないのだから。

頑張るしかない。だから、頑張れるところまで頑張ろう。

介護される方がずっと辛いのかもしれないのだから・・・