えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

生活の変遷とカレンダーのこと

我家ではどの部屋にもカレンダーが掛けてある。もちろんトイレにも。

居間にはお気に入りの絵のもの。あとは予定が書けるシンプルなもの。そして、夫のところには大きな日めくりが掛けてある。

 

結婚した当時、例えカレンダーひとつでも自分の気に入ったものを掛けたいと思い、毎年おしゃれなカレンダーを選んでは買っていた。その頃はまだ若かったし、夫はサラリーマンだったので今より経済的に豊かだったのかもしれないけれど。

それが、数年たって夫が自営業を始めると、経済的にかなり苦しくなり、カレンダーどころではなくなってしまった。その頃は、気に入ったものなんて言っていられず、新聞屋さんから頂く物、プロパンガス会社からのもの、信用金庫に「ご自由にお持ちください」と置いてあるものを頂き、掛けていた。

夫が自営業を始めてからは、生活は楽になるどころか困窮を極め、私は初めはパートとして働き始めた。それでも、カレンダーを買う生活には戻れなかった。

カレンダーなんて買えなくても構わないけれど、二人の子どもたちの学費のことを考えると、私は正規職員としての道を考え始めた。そして、試験を受けて地方公務員として採用された。

 看護師の正規職員というのは3交代勤務。経験加算もあったから、ほどほどのお給料を頂けるようになったけれど、子どもの成長とともに生活は厳しくなっていった。二人の子どもと夫、そして年寄りの生活を支えているようなものだったから。

だけどその頃から、100均でシンプルなカレンダーを買えるようにはなった。100均ではあったけれど・・・

子どもたちは二人とも関東の大学に入り、お金は飛ぶように消えていった。私のボーナスは二人の学費に消え、毎月の給料は二人の生活費に消えた。それでも足りなくて国民金融公庫の教育ローンを借りたぐらい。

だから、子どもたちが卒業した後もその返済があり、決して楽にはならなかった。夫は仕事はしていたけれど、お金にはならなかったから・・・

そんな生活が、夫が倒れる数年前まで続いていた。

一旦、困窮した生活を経験すると、贅沢はできなくなるものかもしれない。私の場合だけかもしれないけれど。

だからその頃まで、カレンダーはいつも100均で買っていた。

 

それが夫が倒れる数年前、夫の弟の会社ではカレンダーが集まり過ぎて処分に困っていると聞いた。それで、我家にも持ってきてくれるようになった。宣伝は入っているけれど、ステキな絵のものもシンプルなものもある。

 それから毎年、日めくりを1冊と、月めくりのものを10部ぐらい貰っている。

 

そして、今年も弟がカレンダーを持ってきてくれた。だけど、今年はカレンダーが少しも集まらないというのだ。

仕事はものすごく忙しくなったというのにどういうことだろう。仕事は出始めても、関連会社は儲かっていないのだろうか。アベノミクス効果で経済は上向きだと報道されているけれど。

だから、持ってきてくれたのはシンプルなもの2部と弟の会社で配っているもの1部だけ。

夫が大好きな日めくりがなかったのが残念だったけれど、今日本屋さんで日めくりをみたら1,600円ぐらいしていた。まだまだ、カレンダーを買うだけのゆとりはないから、頂けるのはホントに有難い。これからも買うゆとりなんて、おそらく、多分、きっと、絶対にないだろうと思う。

もしも貰えなくなったら・・・

そうしたら、掛けるところを1か所に減らして生活すればいいだけのことだとは思っているが。