えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

新年早々にグチグチ・・・

昨年の大晦日の朝、夫の叔母が亡くなったと夫の姉から聞いた。義姉のところには沙汰があったそうだ。

夫の叔母といっても、義理の叔母で、夫の父親の弟の連れ合いにあたる。夫の父親は亡くなってもう30年近い。その弟の叔父も10年以上前に亡くなっている。私の親戚関係ならばおそらく親戚としての付き合いは切れ、沙汰はないだろうと思う。

しかし、叔母の家は同じ市内でもわりと近い所にある。だから、義姉は従兄弟のところに時々顔を出し、付き合いを続けていた。そんなことで、姉のところに沙汰をしたのだと思う。

そして、元旦の昨日が通夜で今日が葬式だという。

 

2011年の5月に夫の母が亡くなった時、叔母は通夜にも葬式にも出席してくれた。それは義母とは義理の兄弟の関係だったからだと思うけれど。

かといって、今の夫は通夜にも葬儀にも参列するのは厳しい状況だ。だからといって、夫を家に残して私だけ出席するのも心配だ。

こう言っては悪いけれど、夫にとっては義理の叔母という関係。付き合いだってほとんどなかった。それに、先方も夫の状況は知っている。

義姉は元旦は自分の子どもたちが帰省するからと、大晦日に顔を出し、通夜は欠席し葬儀に参列するという。

義弟は葬儀は所用で参列できないから通夜に行くという。

我家は申し訳ないけれど、通夜に行く義弟にお淋し見舞いと香典を持って行ってもらうようお願いすることにした。

そこまでは良かった。だけど・・・

通夜の帰りに香典返しを届けてくれた義弟に「姉さんが生花を出していたけど、あんたのところはなかった。母の時に貰っているんじゃないの? 出さなきゃまずいんじゃないのか?」と言われてしまったのだ。

義弟に香典を頼む時、義母の葬儀の記録を確認したつもりだった。それで、お淋し見舞いも頂いているのに気づき、それもお願いした。だけど、供物には気づかなかった。それで、調べ直したら籠盛りを供えていただいていたことが分かった。

その時点ですぐに葬儀社に連絡し、籠盛りを供えてもらうように依頼した。だから、葬儀に間に合わせることことはできた。

だけど、それから私の心はドーンと沈み込んでしまった。

義弟は多分、親切で言ってくれたのだと思う。気付いていないといけないと思って。

それでも、その口調に私はちょっと傷ついた。義弟の性格からしたらやっぱり親切で言ったと思っても。それは受け手である自分自身の捉え方の問題であると思っても。

夫が話せたら

夫が自分の考えを言えたら

そんなことを考えても仕方がないことだとは分かっている。だけど・・・

今の我家は義姉と義弟に一番世話になっている。多分。

だから、私は反論ができない。

「浮世の付き合いは貸し借りだ」と言った人がいる。

たくさんいただいていれば借りは大きい。だけど、関係が変われば、頂いた分と同じだけ返す必要はないと思う。だけど、夫の親戚だから、夫が自分の考えを言葉で表現できない以上、義姉と義弟の考えを受け入れなければならないと思う。

夫には「お義母さんの時に籠盛りを頂いていたから、家も出しておいたからね」とだけ伝えておいた。夫にだって余分なことは言えないから。

親戚関係は友人関係より難しいと思う。自分の考えだけで行動できないことが多いから。

今日は朝から掃除や子どもたちが帰った後の片づけをしまくっていた。だけど、心は紛れることも、晴れることもなかった。

子どもたちが帰り、寂しかったことも加味されていたのかもしれないけれど。