えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

父と過ごした正月

もう三箇日が終わろうとしている。

父は晩年、正月というと1日は早朝から友人のTさんと日帰りでお伊勢参りに出かけていた。たぶん6時頃の電車に乗っていたような気がする。そして、伊勢神宮を参拝し、頂いた干支の置物と赤福を持って我家に来た。でも、帰りは遅い時間になってしまうので、土産を置いたらすぐに帰ってしまった。

泊まっていってもいいのに、翌日の朝はまたTさんと駅近くにある商業ビルの地下まで樽酒の振舞い酒を飲みに行くとかで、泊まっていったことはない。

2日の日は、午前中にその振舞い酒を飲みに行き、午後からは我家に遊びに来た。といっても、私を「デパートに行こう」と誘いに来るのだ。

私は我家で過ごせばいいと思っても、一緒に出かけたいみたいなのでいつも付き合っていた。そして、デパートではたち吉の福袋を私のために買うのが楽しみだった。いいと言っても「いいから、いいから・・・」と、とにかく買いたいのだ。それから、デパート内の喫茶店でコーヒーを飲んで帰って来た。

3日も午後になると我家にやって来た。今度はアピタに行こうと誘うのだ。特に買いたいものがあるわけではないのだけれど。多分、娘と一緒に出かけたいのだと思う。

我家は同居と言っても義母は母屋、私は離れに住んでいたので、遠慮することもなく、我家で自由にゆっくりと過ごしてくれればいいのに、やっぱり外に誘い出そうとしていた。

夫はいつだって気持ちよく「行ってきたら・・・」と言ってくれた。だから、私はいつも父に付きあった。スーパー内を一通り見て回り、最後はやっぱり喫茶店でコーヒーを飲んでから帰るのだ。

それが父の正月の過ごし方だった。

もう、10年以上前のことなのに、今でも何だかその時間になると父が来るような気がしてならない。「お~い。おるかん?(いるかね?)」と言って。

あの頃の父は一人だったから随分と寂しかったのだろうと思う。だから、私のところに来たのだろう。

今では我家も寂しい正月になった。

1日に子どもたちが帰り、その後、義姉の家族や義弟の家族がお年始に来てくれたけれど、2日も3日も誰の訪問もなかった。

テレビをつけることもなく、音さえもないような静かな正月だった。

そんな正月を過ごしていたら、何だか父のことが懐かしく思い出され「お~い。おるかん?」という父の声までが聞こえてくるような錯覚に襲われた。