えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

11日ぶりのデイケア日

今日は11日ぶりに夫がデイケアに行く日。

昨日書いたように、夫に今日からデイケアが始まることを伝えると、不機嫌になり怒ったような態度をとった。だから、今日は行けるだろうかとちょっと心配だった。

案の定、朝起きるとすごく不機嫌になり、着替えさえも嫌がる始末。まるで幼稚園を嫌がる駄々っ子のようだ。普段は滅多に怒ることもなく穏やかなのに、よっぽど行きたくないのかと思ったけれど、そこは私も負けてはいられない。宥めたり賺したりしながら出かける準備を進めた。すると諦めたのか、送迎車が来る頃には平常のようすに落着き、すんなりと出かけて行った。

 

今日は「私も11日ぶりに一人の時間を楽しめる」と、思っていた。夫には悪いけれど、実はこの日を待っていた。だけど「あれをやって、これもやって、あそこに行って、ここにも行って・・・」と思っていたのに、ちっともエンジンがかからない。それどころか、子どもを初めて保育園に行かせた時のように何だか落着かないのだ。

「これって良くないよな」と思いながらも、出かける気にもならず、年末からの家計簿を整理していた。すると、叔母の葬式で出したお金の補充をすることを思い出し、昼近くになってやっと動き出した。

 

出かけるならば、先ずは年末から読みたいと思っていた本を探しに行こうと思った。

若い頃にはよく本屋さんに行ったけれど、貧乏生活を余儀なくされてからは、もっぱら図書館通いかブック何とかというところ。夫が倒れてからはどうしても欲しい本だけはネットで買うようになったけれど。

だけど、今日は図書館はお休み。新刊書ではないのでブック何とかにあればそれでいい。そう思って、そのブック何とかに行ってみることにした。

 

読みたいと思っていたのは、落合恵子さんの「母に歌う子守唄」という本。

この手の本は普段手にすることは滅多にないけれど、年末にT子さんから届いたハガキにその読後感が書いてあったので、読んでみたくなったのだ。

 

T子さんは、図書館で本を借りては、それを暇に任せて読んでいるという。そして時々、読後感を私にも話してくれている。

ハガキには、引用も含めてこんなことが書いてあった。

アルツハイマー意思が通じ合わない、自力で何もできない母を心をこめて看ている切なさがヒシヒシと伝わってくる。

医療はむろん医学的技術と体験と知識が基だろう。しかし、それだけではない。

あなた達が診ているのは、それぞれ長い個人史をもった人間なのだ。あなたが受験勉強をしていた頃、今、高齢者と呼ばれる彼や彼女たちは汗水を流して働いていたのだ。高齢者もあたりまえの人間であり、あなたが聴診器を当てている部分だけが患者のすべてではない。どうか忘れないで。

ある医者の心ない言葉に傷つき、不安やじれったさがにじみ出ている。

聴診器を当ててくれるのはまだいい。ピカピカ光る画面から目を放せない医者もいるし・・・

そして、死が訪れるまでのこと、自分の老後のこと、亡くなったご主人とのこと、かつて自分が看護師として勤めていた頃の振り返りが、ハガキにびっしりと書いてあった。

 

探した本はあったと思って買ってきた。だけど私が買った本は「母に歌う子守唄 その後 私の介護日誌」というものだった。

どうもT子さんが読んだのは「母に歌う子守唄 私の介護日誌」という本みたい。喜び勇んで買ってきたけれど、やっぱり初めから読んだ方がよさそうだ。

ネットで調べたらそれは今は文庫本しかないみたい。文庫本は字が小さいから最近は読まないけれど、それなら本屋さんでも高くはないからと、もう一度探しに行ってみた。二軒の本屋さんに行ってみたけど残念ながらなかった。駅近くの本屋さんなら確実にあると思うけれど、残念ながら今日はもう時間がなかった。

ネットで注文しようと思ったけれど、図書館には単行本があることは分かっている。だから、早く読んでみたいけれど、木曜日まで待って久しぶりに図書館に行くことにした。

もう一冊、群ようこさんの本を買ったから、それまではそれを読むことにして。

 

夫は11日ぶりにデイケアから帰ると、さすがに疲れ切ったようすだった。

私は本屋さんにブック何とか、そして買物と、自由に動き回ってリフレッシュできたけれど・・・

だから「自由にしてくれてありがとう」と心の中で呟きながら、すぐに夕食を食べてもらい、早々に寝てもらった。