えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

誕生日と命日と

5年前のきょう未明、枕元に置いてあった携帯電話が鳴った。

出ると「母さん、こんな時間にゴメンね」と長男から。そして「今さっき生まれたから・・・」と、第一子が生まれた報告だった。分娩に立ち会ったという息子はかなり興奮していて「感動した」と言うその声は喜びに満ち溢れ、涙がこぼれてきそうだった。

 

彼ら夫婦にとって、初めての妊娠は流産という悲しい思いを残した。2度目も妊娠初期に流産の危機にみまわれ、一時入院した。私は彼らがまた悲しい思いをしないようにと願わないではいられなかった。私にできることはそのぐらいしかなかったから。その後は私だけではなくみんなの願いが叶い、順調に育っての出産だった。だから、二人の喜びは一入だったのだと思う。

私たち夫婦も子どもたちが生まれた時には同じように喜び、感動したので息子の気持ちはよく分かった。

私は「よかったね。おめでとう。彼女を労ってあげなさいね」とだけ言い、電話を切った。もう十分労っていたとは思っていたけれど、出血量が多くてかなり大変なお産だったと聞いたので。

 

電話を切ってから時計を見ると、父が逝った頃だった。

そう、父は14年前の今日未明に亡くなったのだ。

そんなことはないかもしれないけれど、私は父が守ってくれたような気がした。だから「父さん、守ってくれたんだね。ありがとう」と、いるはずもない父がそこにいるかのように、宙を見て手を合わせていた。

 

孫は順調に成長している。これからもすくすく育つことを願うだけだ。パパとママの成長も含めて。

 

父のことはもう何度も書いているけれど、私にとっての父は穏やかで優しい人だった。

そりゃあ、小学校低学年の頃までは叱られて怖いと思ったことはある。多分、私が悪さをしたからなんだろうけれど、竹の物差しを持って追っかけられたこともあるぐらいだから。

だけど、小学校の高学年以降は怒られたことはないような気がする。

お酒が好きで、まんじゅう片手にお酒が飲める人。嫌いなものは私が大好きな鶏肉。だけど、嫌いとは言わず、黙って残す人。

小学校に上がる前に父親をスペイン風邪で亡くし、1年生の時に中耳炎をこじらせ鼓膜に穴が開いたままになり、片耳は殆ど聞こえなかったという。片目も理由は分からないけれど見えなかった。だから、かなり苦労したみたいだ。だけど、父から愚痴は聞いたことがない。私が子どもだから言わなかったのかもしれないけれど・・・

 反対に私が愚痴や文句や腹立たしく思うことを話すと、私の話を聞いてから「怒ると自分の体を傷めだけだから、あんまり怒っちゃだめだよ」と優しく言い、そして「何かに書くといいよ。落着くから」と。それから、書いたらすぐに破ってしまうことだと教えられた。父もそうしてきたのだろうか・・・

今でも時々、父に話を聞いてほしいと思うことがある。

 

昨日、父のお墓参りを済ませてきた。

お花を供え、お線香を焚きながら「父さん、元気にしているからね。会いたいし、話したいけど、まだそっちには行けないから連れに来ないでね。母さんと仲良くして、私がこっちの世界で用がなくなるまで待っててね」と話してきた。

夫が倒れる前は、いつ死んでもいいと思っていたけれど、今は夫を送ってから逝きたいと思っているから。

 

これは夫が描いた父の似顔絵。私はLLサイズだけど、父はSサイズ。

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父さんに会いたい時はこの似顔絵を見て我慢して。そして、心の中で話しかけよう。そう思いながら、今日はいろいろ思い出しては何度も話しかけていた。