えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

それぞれに介護は違っても

この間から読んでいた落合恵子さんの「母に歌う子守唄 私の介護日誌」と「母に歌う子守唄(その後)私の介護日誌」の2冊を16日かかって読み終えた。

以前だったら、数日あれば読み終えたと思うけれど、今の私には早い方だ。この間なんか1冊の本を2か月もかかってしまったのだから。まあ、内容はともかく、読みやすかったということもあるのだけれど。

読んでいて思うのは、介護はさまざまだということ。

「あとがきにかえて」のなかにも書いてあるけれど、これは落合恵子さんとそのお母さんのこと。在宅で介護したことが絶対に良いということではなく、あくまで介護日誌なのだ。

当然のこと、介護する人・される人の数だけ違う介護があると思う。介護が必要になった疾患も違えば、介護度も違う。育ってきた環境、家族構成、家族間の関わりというか関係性、金銭面の違いと、考えただけでも様々だから。

そして、どれがいいとか、どれがいけないというものでもない。本人が在宅を望んでも叶わない場合もあるだろうし、望まない場合もある。それすら自己決定できない症状の人もいる。それぞれがよりベターだと思うような介護であっても、それが絶対だということがないのが介護だと思う。

ただ、共感するのは大事な人の介護だということ。そして、医療従事者への思いだろうか。

私も元医療従事者であり、急性期病院の看護師だったけれど、「私はこうした患者さんに寄添えていた」と、自信を持って言い切ることができないでいる。かといって、痛いほど気持ちが伝わるけれど、今となっては医療の現場でその気持ちを伝えることもできない。夫の入院中にも同じように悔しい思いをしながらも言うことすらできないでいたぐらいだから。

 

私は介護が必要になった夫との生活の一部をこうしてここに書いている。

そして、書くことによって、悔いだらけの自分を見つめ、先の見えない介護の力に変えているのだと思う。よりベターな介護の道を探しながら・・・

落合さんはこう語る。

介護される側ひとりひとりに、ベストと言えないまでもベターな、それぞれが望む介護を充分に保障すること。それが福祉の、そして国の役目であるだろう。そのために、わたしはこれからもささやかながら活動をし続けたい。

ひたむきに働き、ひたすらに生きてきた人びとが、人生のファイナルステージで、安心と安全と信頼のある居場所を求めて転々とするしかないなら、わたしたちはなんのために今日を明日に繋いでいるのだろう。

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格差はさらに広がり、充分な介護を受けることができずに苦しむひとは多い。

これからのわたしの日々は、この国の福祉や老人医療のありかたについて目を逸らすことなく、しっかり学んでいきたい。当然異議申し立てもする。わたしは介護する側のひとりだったが、「介護される側」を主役とした介護のありようについてももっと勉強したい。間もなく、わたし自身、「される側」のひとりになるのだから。

と。

私も、夫の介護を通して「介護される側」を主役とした介護のありようについてもっと勉強しなくてはと思う。

認知症の方もそうだけど、夫もまた失語症高次脳機能障害のため自己決定し、それを意思表示することが難しい状況なのだから・・・