えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

昔のことを思い出してしまった

久しぶりに夫の姉が来た。元日以来だから27日振りのこと。

毎年、熱田神宮に参拝に行っていて、今年も行ってきたからとカード型の「身体守」を戴いてきてくれた。義母がいた頃には義母に。義母が亡くなってからは夫に戴いてきてくれるようになった。今年は義弟にも戴いてきたというから信心深いのか、兄弟思いなのだろう。

だけど、私は戴いたお守りを納めに行くことができない。だから、いくつも手元に置いてある。本来は翌年には戴いた神社に納めるものだと知ってはいるけれど。

私は決して信心深いわけではない。だけど、いくつも手元にあるとちょっと気になってしまう。まあ、近くの神社に納めてもいいらしいから、近くの神社に行けばいいだけなんだけれど。義姉が毎年参拝に行くのなら納めてきてほしいけれど、そんなことは言えないし・・・

 

義姉は最近眩暈と飛蚊症に悩まされているという。飛蚊症は来月手術をすることにしたらしいが、眩暈は辛いと。一応、受診してCTを撮り問題はなかったようなので心配はしてないけれど。

私も眩暈は何度か経験がある。起こると立つこともできないし、気持ちも悪くなるから大変なのがよく分かる。

義姉は連れ合いが朝が早い職場で、まだパートとしてだけど働いている。義姉が眩暈で起きられない時「寝てればいい」と言ってくれたという。だけど、連れ合いは家のことを何もしない人だからと、無理して起きるという。まあ、起きることができるぐらいならいいけれど、義兄が余計にできなくなると思うと、私だったらそちらの方が心配になる。

 

そんな話から結婚した当時のことを思い出した。

私は熱を出したこともないぐらい丈夫だったけれど、一度だけ寝込んだことがあった。

その時、夫は「寝てていいよ。僕のご飯は心配しなくてもいいからね。食べてくるから・・・」と言い、出かけてしまったのだ。「えっ。私は・・・」と思ったけれど、何も言えなかった。そして何も食べずに寝ていた。まあ、食べれなかったとは思うけれど。

それでも「何か作ろうか?」とか「何か買ってこようか? 食べれそうなものはある?」とか聞けないものかと思った。そして心の中で「どういう男だ!!」と思い、その時はこの人とこのまま一緒に暮らせるだろうかとまで思ってしまった。

その後は義母の教育のせいか、私が言いたいことを言えるようになったのか分からないけれど、徐々に夫は変わっていった。

私の体調に関わらず、台所だけでなく家のことは何でもしてくれるようになった。夫が倒れる前、「私が死んでもあなたは困らないと思うけれど、あなたが死んだら私は困る」と私が言うほどに。

だから、義姉もやらないと決めつけてやらせないのではなく、少し手伝ってもらえばいいのにと思ってしまう。まあ、よその家庭のことだから大きなお世話だけれど。義兄は決して怒る人ではないのだから、自分が困らないようにしないと・・・

まあ、どんなに手伝ってくれても倒れてしまってはダメだけれど。