えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

留守電には名前だけでも残して

朝7時、電話のベルで目が覚めた。飛び起きて、急いで出たけれど、もう切れた後だった。

何度か書いたと思うけれど、我家の電話は夫が倒れてからちょっと嫌なことがあったので常に留守電にセットしてある。そして、親しい人には「留守電にしてあるけれど、家にいる限り名前を言ってくれれば出るから」と伝えてある。まあ、近しい人からは携帯電話にかかってくることの方が多いけれど。

 

7時という時間はまずセールスではないと思う。子どもたちや兄弟、私の友人だったらまず携帯電話の方にかけるだろう。もしも、固定電話にかけたとしても、留守電なら携帯電話にかけ直すはず。もちろん携帯電話の番号を知っているから。

「さて、誰からだろう・・・」と気になって仕方がない。

夫が倒れる前、電話には自営業の夫が出ていた。たまに間に合わない時があると「誰からだろう・・・」と気にしてばかりいた。そんな時、私は「用があればまたかかってくるから気にしなくてもいいじゃない」と、冷たく言い放っていた。それなのに、今の私は気になって仕方がない。

夫も夫の友人も留守電は大嫌いだった。留守電のメッセージが流れたら「機械に話す気にならない」と名前も、もちろんメッセージを残すこともなく切っていた。実は私もその口だった。

9時過ぎから夕方の5時頃までならセールスの電話だろうと思い、気にもしないだろうけれど、朝7時という時間だったので何だか未だに気になっている。

その後かかってこないのだから、大した用事ではなかったのだろう。ひょっとしたら間違い電話だったのかもしれない。それなのにバカみたいに気になっている。それでも留守電機能を解除する気にはなれない。ここに書けないようなイヤな出来事を思い出してしまうから。

なら、ナンバーディスプレイ? だけど、最近では滅多にかかってこない電話に毎月追加料金が発生するのも考えてしまう。

自分も夫も電話をかけた時、留守電のメッセージが流れるとよっぽどの用事でもない限り名前すら残さずに切っていた。それなのに言えることではないけれど、「せめて名前だけでも残してほしいな」と、勝手なことを思っている。

人間は勝手なもの。いや、私は勝手な人間だから。