えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

今日の雪と46年前のこと

46年前、私は受験生だった。

ホントは東京の大学に行きたかったけれど、家庭の事情で諦め、入学金も授業料もいらない看護学校を受験することにした。

今では看護大学や大学に看護科があるけれど、当時は大学は聖路加だけ。看護短大がやっと新設され始めた時代だった。だけど、看護大学も看護短大も入学金や授業料は必要だった。それなら普通の大学も変わらないということで、医学部に付属している大学系の看護学校を選び受験した。

受験したのは名古屋と広島の2校。2校とも受験日は2月の一番寒い頃だった。

 

初めに受けたのは名古屋の学校。

そこへは同じ高校から4人が受験し、そのうち3人が一緒に受験会場に行くことになった。名古屋なら日帰りでも行ける距離だったけれど、一緒に受験した友人のお兄さんの彼女がその学校に在籍し、寮生活をしていたので、3人とも前日にそこに泊めてもらうことになった。

当時、寮は医学部やその付属校の構内にあり、試験会場は医学部の教室だった。だから、試験当日は実にスムーズに会場に行くことができ、無事に試験を受けることができた。

 

次に受けたのは広島だった。

そこを受験したのは私一人。受験当日に行ける距離ではないので宿をとって前泊した。今では一緒に付いていく親もいると聞くけれど、当時は列車の切符の手配や宿の手配は全て自分で行い、当然のこと一人で出かけた。

広島の宿に着いてから、一人で受験会場まで下見に行き、翌日の受験に備えた。

試験当日、起きるとものすごい雪で、かなりの積雪があった。もうはっきりと思い出せないけれど、確か交通機関を使って会場に行ったと思う。辿りつけるか心配しながらの道のりは不安で胸が張り裂けそうだった。

何㌢ぐらい積もっていたのだろうか。高校指定の革靴も靴下も試験会場に着く前にぐっしょり濡れてしまった。

試験会場はやっぱり医学部の教室だった。

そこにはストーブが置いてあったけれど、昔の教室は木造の窓枠でとても寒かった。そして、濡れてしまった足はちぎれそうに痛くて、冷たくて、私は泣き出しそうな気分のまま受験した。

当時、ニュースでは広島にあれだけの雪が積もったのは20年ぶりのことだと報じていた。

 

今日は私の住んでいるところは雨だったけれど、全国的に大雪だ。交通機関も乱れていた。そして、今日が入学試験の大学が何校もあるという。

受験生は無事に試験会場にたどり着けただろうか・・・

当時の私のように、靴や靴下は濡れなかっただろうか・・・

自分の力を充分に発揮できただろうか・・・

と、テレビニュースを見ながら46年前のことを思い出していた。

私は第一希望だった名古屋の看護学校に合格できたからよかったけれど、

今日の雪で受験できなかった人がいないこと、そして、受験生が自分の力を出し切れたことを願っている。