えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

あの日から

3年前の今日、夫はまだ回復期リハビリ病院に入院していた。

倒れてからもうすぐ半年になろうとする頃で、私は4月初めに退院を控えた夫の介護のため、3月末で退職することを決めていた。

 

倒れた当初から、自分は看護師なのに身近に暮らす家族一人の健康も守れなかったのかと後悔し、自分を責め続けていた。

 

夫が義母のトイレ介助で夜間眠れないと知りながら、いいと言われようが、なぜそれを変わらなかったのか。

そして仕事が重なり、離れのリホームに介護にと肉体的に疲れていた夫を労わるどころか、なぜ夜遅くまで一緒にビールを飲み、夜更かしをさせていたのか。

夫が 脳出血で倒れ、右半身が動かなくなり、言葉まで失ってしまったのは私のせいなのだと、私は悔やんでも悔やんでも悔やみきれない後悔に苛まれ、責めても責めても責め足りないと自分を責め続ける日々が続いた。

そして、どうしようもない不安を抱え、針穴ほどの光さえも見えない真っ暗な闇の中を彷徨い、夜になると人知れず枕を濡らす毎日だった。 

 

倒れる前にはあれだけ観ていたテレビをつけることもなく、新聞さえも山積みになっていた。それでも、徐々にテレビのスイッチは時計代わりに入れられるようになり、新聞にも目を通すようになってきていた。

 

あの日、ニュースを聞いたのは職場だった。そして帰宅後、初めてみたテレビからは背筋が凍りつくようなあまりにも衝撃的な映像が流れていた。

 

あの日、あの映像を見た時から私の涙はとまった。

後悔や、自責の念に駆られることがなくなったわけでも、不安がなくなったわけでもない。だけど、涙は流れなくなってしまったのだ。

たぶん、これしきの事で泣いてはいけないと思い込んでしまったのだと思う。

  人の悲しみの深さなど他人の私には分からない。分からないけれど、あの映像を見る限り、自分のそれとは比べものにならないものだと思ってしまったのかもしれない。

悲しみなど比べるものではないことは分かっている。それでも、やっぱりそう思ってしまったのだろう。 

 

あれから3年が経つ。

私の場合、消すことも、変えることもできない現実に向き合えるようになってきた。

後悔も自責も決して消えることはないけれど。

 

この間から、新聞には震災に関する記事がたくさん載っている。

今なお、多くの方が避難生活を強いられていたり、仮設住宅で暮らしている。

そして、2633人の方は未だに行方が分からないままだという。

被災された方たちの悲しみは決して癒えることはないだろう。

課題は多いかもしれないけれど、せめて復興を急いでほしいと願っている。

14時46分。「この日のことを決して忘れない」と思いながら 黙祷。