えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

動物たちの落し物

今日は汚い話しです。苦手な方はここまででスルーしてくださいませ。

 

私が小学校の低学年だった頃、市内の殆どの道路はまだ舗装されておらず、土の道路だった。

高度成長期の前だったので、車もたまに通るぐらい。というか、牛や馬をひいた人が幹線道路を歩いていた時代だ。

そして、その牛や馬は止まったかと思うと、滝のようなおしっこをしたり、ボトンボトンと大物まで落としていった。

飼い主はそれを片付けることもなく、当り前のようにその場から立ち去っていった。

そこは片道1車線とはいえ、決して狭い道路ではなく、両側に住宅が立ち並んでいた所だ。

当時、その落し物を誰かが片づけていたのだろうか。それとも誰も片付けることなく、そのまま土に帰って行ったのだろうか。全く記憶がないけれど。

 

子どもだった私たちは、学校からの帰り道や、野原で遊んでいる時、下を見ていないと、ぐにゃという感覚で何かを踏んでしまうことがあった。

それは犬や猫の落し物で、もうしょっちゅうのことだった。

踏んでしまうと、臭いし、足がその感覚を覚えてしまい虫唾が走るほどの不快感を味わった。そして、草のきれいな所でズックの靴をこすり、塊がついてない状態までにして家に戻った。それから外の水道で腹を立てながらきれいに洗った記憶がある。

 

今では野良犬も野良猫も減った。

犬の飼い主は散歩の時には片づけるのが当たり前になり、猫の飼い主は家に猫のトイレを置いてある時代になった。

そして、殆どの道路は舗装されている。

だから、道端でそんな落とし物を踏んでしまうことはまずない。

 

ところが落し物は時々あるのだ。

まず猫の落し物は、我家の庭の一角にお気に入りの場所があるらしい。

これは私以外に片付ける人はいない。

だから、落し物を見つけると、それに向かって「じぶんちでやってからおいで」と言いながら、仕方なく私が片づけている。

 

犬の落し物は、野良がいないのだから、本来落ちているはずがない。

だけど、時々落ちているのだ。

 

我家の前には公園がある。

犬を遊ばせるような公園ではないけれど、それでもコースに組んである人が多いようだ。

見ているとみんなビニール袋を持参している。それなのに、時々落ちているのだ。

これも仕方がないので、見つけると、自宅周りのものは、私が腹を立てながら片づけている。

 

昨日、夫をデイケアに送り出す時、道路に小さなビニール袋が落ちていた。

遠かったけれど、見ると口元がしっかり結んであった。

「あの位置はひょっとしたら・・・」と思ったけれど、朝は出かける予定があったので、ビニール袋に入っているからとそのまま放置した。

犬の落し物を袋に入れ、忘れて行ったか、それともわざと置いていったか・・・

もしも忘れて行ったとしたら、また散歩で通った時に思い出すはず。

そう思って、今日のゴミだしまで様子をみることにした。

大抵はそのままだろうから、ゴミ出しの前に片付けるつもりで。

 

そして今日。

ゴミ出しの前にゴミ拾いを持ってビニール袋の落ちていたところへ行った。

すると、ないのだ。

えっ。今日は北風が吹き荒れていた。まさか、どこかに飛んで行ったのだろうか。

落とし主が持ち帰ったのならいいけれど、風に飛ばされたとしたら・・・

そう思ったら、家の周りから公園の周りまで隈なく探してしまった。

結局、どこにもなかったのだけれど、何だか後味が悪くて仕方がなかった。

落とし主が持ち帰ったとしたら、そのままになっていたビニール袋を見て何と思っただろうか。

探した以外のところに飛んでいったとしたら、見つけた人は何と思っただろうか。

そんなことを思うのなら、昨日のうちに片付けておけばよかったと悔やまれた。

そうすれば、自分のことを不親切で嫌な奴だと思わなくて済んだのだから。

何だか、意地悪で不親切な自分が露呈したようで、ちょっとどころか大いに後悔している。