えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

泣きたい時には泣いてもいいのよ

今朝、夫がデイケアの送迎車に乗る時、ご近所のMさんが通りかかった。

そして夫に話しかけ、一緒に見送ってくれた。

 

私より5、6歳年上のMさんは今年2月半ばにご主人を亡くされたばかり。

そして最近、49日の法要を済ませたという。

我家同様、息子さんが2人いるけれど、2人とも所帯を持ち関東で暮らしている。

だから、今は一人で暮らしている。

息子さんたちが独立してからずっと2人で暮らしていただけに、寂しくて、悲しくて、毎日涙が溢れてくると言う。

 

夫が倒れた頃、Mさんのご主人に癌が見つかった。

それから3年半。その間に何回も手術を繰り返し、抗がん剤治療も続けて頑張っていた。

夫が倒れた時期と癌が見つかった時期が重なったことや、私が看護師だということもあり、道で会うと良く話しかけられた。そして、ご自分のことを話されたり、私には励ましてくださった。

でも、ここ1年ぐらいはとても辛い日々が続いたようで、道で会うと私にも涙ながらに話すようになっていた。

 

ご主人は生前「何歳で死んだとしても、その時は寿命なのだから決して人前で涙を流すな」と言っていたそうだ。

「だから泣かないようにしているの」そう言いながら、私にご主人の最期の頃のことを話すMさんの目からはほろほろと涙が溢れてきた。

いずれは誰でも別れの時がやってくる。

大事な人であればあるほど悲しいし、寂しいし、辛いに決まっている。

「涙を流すな」というほうが無理なのだ。

私は今までにたくさんの人たちの最期に立ち会わせてもらってきた。

だけど、いつだって残された人たちにかける言葉はみつからない。

今日もやっぱりそうだった。

私には聞くことしかできないけれど、ただ一つ言えるとしたら「泣いてもいいのよ」と言うことぐらいだろうか。

 

「自分に」という柴田トヨさんの詩 

 

ぽたぽたと

蛇口から落ちる涙は

止まらない

 

どんなに辛く

悲しいことがあっても

いつまで

くよくよしていては

 

だめ

 

思いきり

蛇口をひねって

一気に涙を

流してしまうの

 

さあ 新しいカップで

コーヒーをのみましょう

 こんな風に一気に涙を流し、前に進めたららいいのにと思う。

だけど、今は泣きたいだけ泣いていいのよ。例え人前であろうと。