我家にテレビが入ったのは私が小学校5年生の時で、まだ白黒テレビの時代だ。世間と比べ、特別早い方ではなかったけれど、かといって遅い方でもなかった。
当時は今のように娯楽のない時代だったので、私は嬉しくて、嬉しくて、いつもテレビの前に陣取り、そこから離れられなくなってしまった。
特に中学、高校時代はまさにテレビっ子そのものだった。
朝は8時のニュースに始まり、学校に行く前は朝ドラに夢中だった。ホントは最後まで見てから学校に行きたかったけれど、それでは遅刻してしまうので、テレビ画面の時間を見ながら「もうダメだ・・・」というところまで見てから家を飛び出していた。
夜は7時のニュースに始まり、11時まではテレビの前に座っていた。宿題があろうと、テストの前であろうと。「勉強しなければ・・・」という気持ちはあっても、心も体もテレビの前から離れられないのだ。だから、中学生の頃はまだよかった成績は高校生になると当然のようにがた落ちだった。それでもテレビの誘惑には勝つことができなかった。
あの頃は見るもの見るもの全てが新鮮で、どんな番組を見ても夢中になれた。どこの局もどの番組も魅力的で、同じ時間に見たい番組がいくつも重なっていたほどだ。今のように録画装置があれば、それこそすべて録画したいぐらいだった。
今は殆ど見なくなったドラマも当時は夢中で見ていた。連続ドラマも1時間の単発ドラマも。とにかく大好きだった。ラジオドラマしか知らなかった私にはきっと刺激的だったのだと思う。
その中でも特に「東芝日曜劇場」は大好きな番組だった。
そんな私のテレビっ子時代は看護学校1年生で1年間の寮生活をした時を除き、母が倒れる23歳の時まで続いた。
一度見なくなると、それからはテレビに執着がなくなり興味もなくなった。
それが最近、またテレビを見るようになった。だけど、今はリアルタイムではじっくり見ることができないので、見たい番組は録画をして、夫の昼寝中に見るようにしている。
この間「石井ふく子が初めて手掛ける殺人のないサスペンス」という番宣を見て、録画しておいた。
最近は石井ふく子さんがプロデュースしたドラマを見たことがないけれど、昔はよく見ていた。肝っ玉母さんとか、ありがとうとか、女とみそ汁、カミさんと私、おんなの家などなど、数え上げたらきりがないほど見た。
で、「人が殺されるドラマは作らない」を信条とする石井ふく子さんが「人が死ぬより怖い」サスペンスを手掛けたというのだから、これは録画してでも見たいと思ったのだ。
原作は読んでないけれど、佐野洋さんの「隣の女」
登場人物はものすごく少なく、船越英一郎演じる「田向健三」と、一路真輝演じるその妻「田向ゆき」、隣の女「立原さち」には高島礼子、刑事の「後藤田祐太郎」に小林稔侍と、ほとんどの場面がその4人のみで構成されていた。4人とも主役級の俳優だけれど、私は一路真輝さんの演技に引き込まれてしまった。
内容はこれから読む人がいるといけないから書かないけれど、ほんとに「人が死ぬより怖い」ヒューマンサスペンスだった。ま、サスペンスとしては、途中でどうなるのかは読めてしまうのだけれど、ほんとの結末は「全てを失って初めて気づくことになった一番大切なもの」だったのだと思う。
ホームページを覗いてみると、石井ふく子さんからの見る人へのメッセージには「人生には『まさかの坂』があります。日常こそサスペンスということをみて下さい」とあった。
また、そこには「隣の人はなにする人ぞ」という、現代社会の歪から生まれた心理的サスペンスであること、ある意味誰にでも起こりうる事件であり、夫婦の心の中にある物語だとあった。
だから、私は怖かったのだと思う。
「隣の人はなにする人ぞ」と、隣人のことを全く知らないのも寂しいことだけれど。