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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

ネジバナを見ると

もう30年以上前のこと。

車で5分ほどのところに広い道路ができた。片側3車線はできる道幅があるけれど、暴走族が屯するといけないから2車線にしてあると聞いた。これは嘘かホントか実のところは定かではない。

そのため中央分離帯はかなり広く、2車線分ぐらいの幅がある。

当時、そこには、今の時期、ネジバナがぎっしりと咲いていた。中央分離帯を作る時、どこからか運ばれてきた土に混じっていたのだろう。

そこは植物を採ってはいけないところではなかったので、私はそこから少しだけネジバナを採ってきた。そして、一株は鉢に植え、あとは庭に植えておいた。

鉢植えにしたものは翌年にはもう芽を出すことがなかったけれど、庭に植えたものは、それから毎年、かわいい花を咲かせている。

去年は5株ぐらい咲いたけれど、今年は今のところこの一株だけだ。

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 庭にネジバナを植えた当時、夫は自営業を始めたばかりだった。

そして、結婚を控えた義弟が、それまで私たちが住んでいた家に移り、私たちが夫の両親と同一敷地内で暮らすようになったばかりでもあった。

当時、まだ仕事がなかった夫は何か月も無収入だった。夫の父親は金銭的には厳しい人で、いくら夫に収入がなくても固定資産税などの税金や必要経費は容赦なく請求された。それは当然のことなので、両親を悪く思っているわけではない。だけど、家計は別だったので、住むところはあったとはいえ、我家は貧乏のどん底だった。まだ小さな子ども2人を抱えての貧乏生活は私にとってはとても辛く、苦しい日々の連続だった。金銭面のことだけではなく、心の内もだ。

 

夫から、会社を辞めて自営業を始めたいと言われた時、私が決めることではないと思い、反対しなかった。3ケ月ぐらい我慢すれば何とか生活ぐらいはできるようになるだろうと高を括っていたのだ。だけど、それ以来ずっと我慢の連続だった。

 

私が常勤の看護師として働けば家計は成り立つと思っていた。だけど、収入のない夫を紐のようにしたくはなかったし、子どもたちはまだ小さかった。でも、お金はない・・・

心の中ではいつもこんなことを考え、どうしたらいいのか分からずに堂々巡りをしていた。

夫は仕事が好きだったし、一生懸命だった。ただ、間違ったことは大嫌いだったので、違反になりそうな仕事はすべて断っていた。それに夫自身が信用できそうもないと思った人の仕事もやらなかった。だから、仕事量は多くはなく、倒れるまで儲けることができない人だった。

それでも、仕事が一つ入り、その人から紹介されて次の仕事が入る。そして、またその人から紹介されて・・・と、少ないながらも仕事が入るようになった。

私は夫に仕事が入るようになってから、外で働くようになった。まずはパートから始め、徐々にフルタイム、常勤へと。

 

ネジバナを見ていたら、どうしようもなかったあの当時のことを思い出していた。いつもしゃがんで眺めてはかわいい花に癒されていた当時のことを。

私も若かったのだろう。あんなに頑張れたのだから・・・

あの頃のことを思えば、今の方がまだいいような気がしてくる。もう、がむしゃらに頑張れるような、あんな若さはないけれど。