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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

おとなりさんの生垣

私が中学生の頃、今住んでいる家の辺りはかなり田舎だった。

道路は狭く、家は疎らで畑ばかり。今は当時の面影は全くないといっていいほどだ。

以前も書いたけれど、当時から住んでいる家は数えるぐらいしかなく、しかも代替わりした家も多いので、今では知らない人ばかりになってしまった。

 

我家の東隣のKさん宅は夫の祖父母の代からのご近所さんだ。

私の親世代の小父さん小母さんには子どもさんはなく、夫は子どもの頃には随分可愛がってもらったと聞いている。

私は夫の両親と同じ敷地内で暮らすようになってからのお付き合いだけれど、我家の子どもたちが小さかった頃には、お祭りの時にはお菓子券を下さったりと、時々は話しをしていた。

 

20年ぐらい前だったと思うけれど、Kさん宅に小父さんの姪御さんご夫婦が養子に入られた。

Kさん宅の敷地はかなり広く、我家側に小父さん小母さんの家を建て、その隣に若夫婦の家を建てた。小父さんの家の方には和風の立派な庭があり、いつも小父さんが手入れをしていた。我家との間には小父さんが植えた生垣があり、その生垣も小父さんが定期的に刈込んでいた。

 

だけど、小父さんが亡くなり、小母さんも亡くなった今では、若夫婦とは会えば挨拶をするけれど、滅多に顔を合わせることもなく、回覧板を回すだけの間柄になった。

 

小父さん夫婦が住んでいた家は今は空きや状態で、我家との間の生垣は手入れする人がなくなり伸び放題になってしまった。同じように立派な庭も荒れ放題だった。

 

夫がまだ元気だった頃、姪御さんのご主人に「我家の側の生垣を刈り込ませてもらってもいいか」と聞きに行った。その時ご主人は最初「僕がやります」と言われたけれど、夫が刈込むことを快く了承してくれた。それから数年、夫は我家の生垣を刈り込む時に、我家側のお隣の生垣も刈込むようになった。

 

夫が倒れるのと前後して、お隣ではSセンターに庭仕事を依頼するようになった。たぶん、年1回だと思う。

それがどういうわけか、生垣を刈り込むのはKさん側だけで、我家側は刈り込んでいかないのだ。去年もそうだった。

当然、我家の側も刈込むだろうと思っていた私は驚いた。だから、あんまり伸びた枝は私が切らせてもらっている。だけど、現状は追いつかずに伸び放題になっている。

 

今日、Sセンターの人たちがお隣に庭木の剪定と生垣の刈り込みに来ていた。

でも、やっぱり我家側を刈り込む様子はなかった。分厚い生垣の半分だけ刈込んで終了したのだ。

 

以前、裏隣りのNさん宅にもSセンターの人が庭木の剪定に来ていた。

Nさん宅と我家の境はブロック塀だけれど、塀よりはるか高い庭木が我家側に覆い被さってきていた。

それでSセンターの人は「庭に入って作業させてもらってもいいですか」と、我家に聞きに来た。かなり前には断りもなく我家の敷地内に脚立を立てて作業していたこともあるけれど。でも、隣に入り込んだ枝は剪定していったのだ。

それは当然のことだと思っていた。Kさん宅に来る人たちは同じ組織に所属しているにも拘らず、隣家に入り込んだ枝を刈らないで済ませるのはおかしいと思う。

Kさんのご主人も奥さんも我家側が刈り込んでないことを知らないのではないかと思っている。我家側の生垣を刈り込むためには我家の敷地内で作業をしなければならない。だからSセンターの人がやらないだけだと。

 

今日、思い切ってSセンターの人に「こちら側はやらないのですか」と聞いてみた。

すると「お宅に入らせてもらわないとできない」という返事だ。私が「この生垣はKさん宅の物ですが・・・」と言うと、こちら側をやらない値段で見積もり、人員も時間配分もしていたようだった。それで今日、Kさんに話しておくという返事だった。それで、来年からはやるようにしたいと。

 

Kさんは極々普通の人だ。変な人ではなく、どちらかというと良い人だと思っている。前述したように、たぶん我家の側の枝が伸び放題のままなのを知らないのだと思う。

 

私はSセンターの人に言ってから、何だか後味が悪い思いをしている。そして、私が言ったことが変に伝わらなければいいと願っている。だけど「もしも・・・」と思うと、気になって仕方がないのだ。

 

隣近所はお互いさまのこともある。些細なことで気まずくなるのはイヤなのだ。まあ、何年も気にしているのだから、私にとっては決して些細なことではないのだけれど。

Sセンターの人に言うだけでなく、私の口からも奥さんにきちんと話した方が良いだろうかと悩むところだ。でも「まあ、どうでもいいか。面倒臭いし・・・」とも思ったりして、何だかとても複雑な気持ちになっているのだ。