えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

すてきな字はあこがれ

高校の頃、選択科目というのがあった。

今はどうなのか分からないけれど、当時は音楽、美術、書道のいずれかの授業を選択するというもの。

一応、本人の希望で選択するのだけれど、各教科の人数が決められていたようで、生徒は第二希望までを申告し、後は学校側で決めるということだった。

私は書道を第一希望にし、第二希望を美術にした。

音楽も美術も好きだったけれど、どちらも実技のことを考えると選ぶことができなかった。以前にも書いたことがあるけれど、音楽は学科や器楽は好きだったけれど、歌は好きでもものすごく音痴なのだ。だから音楽だけは絶対に選べなかった。美術も実技は苦手だけど、人前で歌を歌うよりはいいと思い、第二希望に選んだのだ。それでも選択科目が決まるまで、学校側から美術だと言われたらどうしようかと心配していた。で、無事に書道だと言われた時にはホッとしたのを覚えている。

選択科目はこんな風に消去法で選んだようなものだけど、それでも書道は好きだったのだと思う。

 

私が初めて書道というかお習字というものに触れたのは小学校の授業だった。何年生の時だったのかは全く覚えていないけれど、硯に墨を磨っていると自然に心が落着いてくる感じや墨の香り、半紙に筆を下す時の緊張感が何とも言えず好きだった。それに絵と違ってお手本のように書けばいいだけというのも当時の私にはよかったのだと思う。

 

学生の頃はお手本の字しか知らなかった。当時は翠軒流と言われていた鈴木翠軒先生のお手本だったと記憶している。それはとてもきれいな字だったので好きだったけれど、大人になってからはいろんな字体があることを知り、書道に興味を持ち始めた。

そして30代の頃、習いたいと思ったことがある。貧乏生活をしていたので習いに行くことはなかったけれど、地元の展覧会に行くと「こういう字が好きだ」とか、審査員の作品を見ては「習うならこの先生の字がいい」と思いながら、読めもしない作品を眺めていたのだ。

 

最近はインテリア書道とかデザイン書道とかおしゃれ文字という言葉をよく聞くようになった。それぞれがどう違うのかは分からないけれど、新聞や雑誌で見る限り、なんだかとても魅力的だ。

絵手紙だって字によってより素敵になるし、本の装丁だって題字によって読みたい気持ちになることがある。商品だってロゴによっておいしそうに感じたり高級そうに感じるものだ。

ステキな言葉をおしゃれな字で書けたらどんなにいいだろう・・・

一文字の漢字でもいいから自分のイメージするように書けるようになりたい・・・

だけど、絵手紙作家の小池邦夫さんは大学の書道科。相田みつをさんも中学時代から書道を極めていた。榊莫山さんも町春草さんも・・・ 私が知っているステキな字を書く有名な人たちはみんな書道を極めた上で自分の字を書いている。

インテリア書、デザイン書といった字も書を極めた上に豊かな感性が備わってなければ書けるものではないと思う。私が自分のイメージで書いてもただの下手な字にしかならないのだ。だからすてきな字はいつだって私にとってはあこがれなのだ。

 

昨日、喫茶店のギャラリーへ「いんてりあ書 教室展」という作品展を観に行った。教室展だから生徒さんの作品もあるはずだけど、どの作品もすばらしかったのだ。

今回は糸偏か草冠の字からそれぞれが好きな字を選んで書いたそうだが、ほんとにどの作品もすばらしくてうっとりと見とれてしまったほどだ。例えば「葡萄」という作品は葡萄の房がぶら下がっているように見えるなんともステキな作品だったし、金子みすずさんの詩を書いた作品も優しい墨の色と字で雰囲気が漂っていた。

 

私は教室に通う時間もお金のゆとりもない。だけど、あんな字が書けるようになりたいと思うのだ。

で、昔買ったNHKの趣味百科「書道に親しむ」というテキストがあったはずだと思い出し、離れの本棚から引っ張り出して来て眺めている。

上手くならなくてもいいから「ちょっと墨で遊んでみようかな」なんて思いながら・・・