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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

こうして親子は逆転していくのだろう

昨日、約2週間のアメリカ出張から帰国したと、長男から電話があった。本来の用件はそんな報告ではなく、今後の渡米に向けての予定変更と、それに伴う私への依頼事だった。就職してからというもの、親に頼みごとをすることなど滅多にない息子のこと。2年間、家財道具を預かることなどお安い御用だ。

 

スカイプを立ち上げ、孫の顔を映してくれての会話は普段静かすぎるぐらいの我家にとってはとても楽しい時間で、うれしいことだった。

 

最近、と言ってもここ3~4年ぐらい前から、息子が何だか優しくなってきたような気がしている。電話やメールをくれた時の言葉の端々にそれを感じるようになってきた。

子どもの頃には確かに優しい子ではあった。それが中学校に入学と同時に軽い反抗期を迎え、高校・大学の頃には外にばかり目を向けていた。

息子は就職した翌年に結婚し、その6年後に第一子が生まれた。親にも目が向けられるようになってきたのはその頃からだろうか。

その後夫が倒れたこともあり、私への労わりの言葉が増えた。そして第一子が生まれた3年後であり、夫が倒れた翌年に第二子も生まれた。それでますます親を労わるようになってきたのだと思う。きっと彼女や子どもたち家族が息子を成長させてくれたのだろう。ありがたいことだと感謝している。

だけど、やさしい言葉をかけられたり、労わられたりすると言うことは、息子からすると親の年を感じ始めたからだと思う。

こうして少しづつ、少しづつ、親子の関係が逆転していくのだろうと思うと、やっぱりちょっと寂し気がする。やさしい言葉をかけられた方がうれしいには違いないけれど。

 

今日はその長男の37回目の誕生日だ。

18歳で家を出て、はや19年。我家で暮らした月日よりその後の方が長くなってしまった。

親としてはもっといろんなことを教えておきたかったけれど、それも叶わず、さっさと独立していった。当時は親の役目を果たせなかったようで、心残りでもあり、寂しい思いをしたものだ。

以前にも書いたことがあるけれど「子どもは成人したら親の子ではなく、社会の子になる。そして、今度は親に代わって社会が子どもを育ててくれるのだ」という言葉に出会ってからは素直に「それでいいのだ」と思うことができ、気持ちが楽になった。そして寂しい気持ちも徐々に薄れていった。

 

ここ数年、私もメッセージを添えて「おめでとうメール」を送るようになった。そしてさっき送信しておいた。

息子からの返信メールには、最近はいつも「誕生日は親に感謝をする日だよ」と、うれしい言葉を書いてくれてある。今回はどうか分からないけれど・・・