えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

刺激を受けて作ってはみたけれど

何十年もタンスの肥やしになっていた洋服地4着分を洋裁が得意なT子さんに貰ってもらった。自分で作るつもりで買った生地だけれど、もう100%作らないだろうと思ったからだ。

自分の物を作ってもらおうなどとは思わず、差し上げたのだけれど、T子さんは私のためウールの圧縮ニット 地でハーフコート、ウールニットと上等なフリース地で長袖のTシャツを作ってくれた。T子さん自身も色違いの圧縮ニットの生地でデザインが違うハーフコートを作り、ウールニットとフリース地の残り布でロングベストを作った。それだけ作っても僅かだけれど布が余ったからと、帽子を2個と布花のブローチまで作ってくれた。

 

私は小学校の時から家庭科が好きだった。

小学5年生の時には、高校の家政科に通う近所のお姉さんに教えてもらい、夏休みの自由課題でスエーデン刺繍を施したレッスンバックを作った。中学生の時には、授業で作ったスカートを擦り切れるまで穿き、家でも同じものを作った。高校生の頃のことはあんまり覚えていないけれど、手芸は好きでいろんなものを作っていた記憶がある。看護学校時代は忙しかったこともあって何もした記憶はないけれど、手仕事と言われるものには常に憧れを持っていた。卒業してからは洋裁を習ったこともある。だけど、洋裁は得意ではなく、それより皮細工や袋物などの小物類を作る方が好きだった。

 

それが、出産してから右手の肘関節から指先までが痺れるようになり、しばらくは鉛筆も持てない状態だった。医師は「そのうち治ると思います」と言ったけれど、少しは回復したものの治ることはなく、未だに力を入れると痺れてしまうのだ。それでも子どもが小さいうちは痺れて痛くなっても何かを作っていたけれど、外で働くようになってからは徐々に作らなくなり、最近では老眼になったこともあり 、全く作ることはしなくなった。

 

T子さんが作ってくれた帽子と布花のブローチを見た途端、私はものすごく刺激を受け「私も何かを作りたい」という気持ちがムクムクと湧きあがってきた。それまでもネットで手作りサイトの作品を見ては楽しんでいたので、それも重なっていたとは思うけれど。

 

それで、このところ毎日のように手芸の作り方をYouTubeで見ていた。で、簡単にできそうな布花のブローチの作り方を見つけ、手始めに作ってみることにした。これならミシンを使うこともなく、端切れで簡単にできそうだったから。

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これは裏側。

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右上の生地は私が30代の頃に作った夏の部屋着の残り布。左上と下のまん中は着物地の残り。左下は布団の皮地だろうか。右下は花びらが絣で芯は右上と同じ生地。

端切れはそれこそ衣装ケースに3個分ぐらいある。T子さんに貰ってもらった洋服地よりずっと前からの物もあるぐらいだ。全て処分しようと思っていたけれど、決心がつかずに押し入れで眠っていた物ばかりだ。

 

T子さんから刺激を受けて、ブローチを5つも作ってはみたけれど、私はアクセサリーをほとんど付けない。多少は持っているけれど、身体に直接付くネックレスや指輪やイヤリングは全くダメ。ブローチならまだいいけれど 、それでも付けることはない。それなのに作ってみたかったのだ。まあ、作る時には生成りのバックに付けてもいいかなとは思っていたのだけれど。

 

でも多分付けないと思う。で、地域の一品寄付に出そうかと思い始めた。透明フィルムの袋に入れて、かわいいリボンで口元を結べば、100円ぐらいなら誰か買ってくれるかもしれないと。

近々、地元の中学から一品寄付の依頼があった。「手作り品」という項目はなかったけれど、受けつけてもらえるだろうか。

心を込めて作ったものだから、受けつけてもらえたら嬉しいけれど・・・