えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

やらせてもらえる幸せ

倒れる前の夫は手先が器用な人だった。

仕事柄ということもあるのだけれど、家のメンテナンスは何でもこなし、しかもできばえも上々だった。

他にも、母親が足腰の自由が利かなくなってからは美容院に行けなくなった母親の散髪も夫の役割に加わり、そのできばえに母親は満足していた。実は私も美容師さんが病気で休んでいた何か月間は夫がカットしてくれたのだ。プロが見たらどう思うかわからないけれど、もちろん私も満足していた。

母親の散髪を始めたころは特別な道具などなかったので、剃刀だけでカットしていた。そのうち、プロが使うような何万もする道具は買えないけれど、東急ハンズでほどほどの額のカットばさみと漉きばさみ、そして「サボ」というヘアーカッターを買った。

サボヘアトリマーSB -41

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 アマゾンで買ったわけではないけれど、どんなものなのかがよくわかるので貼り付けてみた。

 

やっぱり道具が良くなると違うようで、夫はますます腕を上げた。そして、母は夫に毎月散髪してもらうのを楽しみにするようになった。

 

夫が倒れる数年前、夫と一緒に家電量販店に行くと、そこに電気バリカンというか、こういうものが展示してあるのを見つけた。 

Panasonic カットモード 毛くず吸引 緑 ER511P-G

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 その当時私はまだ働いていた。ボーナスが支給された後だったのか、母の日のころだったのか、はっきりとは覚えていないけれど、プレゼントしてもおかしくない時期だったのだと思う。その場で購入し、夫と母にプレゼントした。実はカットばさみも漉きばさみもサボもみんな私からのプレゼントなのだ。

それからは電気バリカンが主役の座を奪い、細かいところはカットばさみを併用して母の散髪は行われていた。

 

しかし、夫が倒れてしまったので、散髪道具は押し入れに仕舞ったままになり、使うことはなくなった。それでも、夫が車いすでの生活になり、今でこそ床屋さんに行けるようになったけれど、退院直後は床屋さんに行けなかったので、今度は私が夫の散髪をしてみることにした。だけど、2回ほどやってみたけれど、不器用な私は夫の気に入るようにはできなかった。まあ、夫の場合は外に出ることも、人と会うこともリハビリだと思い、私が早々に諦めたのだけれど。で結局、道具はまた押し入れに逆戻りとなった。

 

昨年の盆休み、息子家族が帰省した時散髪の話になり、手先が器用な嫁が孫の散髪をしてみると電気バリカンをもらってくれた。だけど今は息子たちはアメリカ暮らしのため、それも引っ越し荷物の中に入ったままわが家に逆戻りしている。

 

半月ほど前、息子は渡米して2か月ほど経っていたので散髪の時期が来たのだろう。アメリカにだって床屋さんはあるのだけれど、見つけられなかったのか、時間的なことなのか、それとも金銭的なことなのかわからないけれど、嫁に散髪してもらったという。まあ、日本にいるころから嫁が「やってあげる」と言ってくれていたようだけれど。だけど、道具もなく工作ばさみでの散髪だったそうだ。息子はSNSに散髪後の顔写真を載せ「これで会社に行くのも何の問題もない」と書いてあった。私も「工作ばさみで上手に散髪したものだ」と感心した。そして、さすがに手先が器用だと思ったけれど、いくら手先が器用な嫁でも工作ばさみでの散髪はする方もされる方も大変だっただろうと想像した。

で、しばらく考えたけれど「我家のカットばさみや漉きばさみ、サボを使うのなら送ろうか・・・」と二人宛にメールを送った。「他にも欲しいものがあれば送ってあげるよ」と付け加えて。

すると「送ってもらえればうれしい」と返信があった。そして「ついでに甘えさせてもらえるならば〇〇みたいな軽いものを一緒に送ってもらえるとうれしい」と。親にそういったことを甘えることがない息子からの返信に親ばかな私はものすごくうれしくなってしまった。やらせてもらえることも幸せなのだから。

で、カットばさみ、漉きばさみ、サボ、希望のもの、そしてそれ以外にもみんなが喜びそうなものを箱に詰め、郵便局へ走った。

EMSは料金がびっくりするほど高いけれど、そこは500円玉貯金がある。みんなが箱を開ける時のうれしそうな顔を想像するだけで私も幸せな気持ちになれるのだから安いものだ。ただそれだけで幸せな気持ちを味わえるのだから。

たぶん、もうそろそろ着くころだ。

喜んでくれるだろうかと想像しながら、やらせてもらえる幸せ、やってあげられる幸せを感じ、今日はわくわくしている。