えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

友人や兄弟はありがたい存在だ

 昨日はご近所の方のお葬式だった。私より3歳も若い方だ。

同じ町内だけれど隣の組なので、私は挨拶を交わす程度のお付き合いだった。

それでも、新興住宅地のごとく知らない方の方が多くなってしまった町内の中で、夫が子どもの頃から住んでいる数少ないお宅だ。奥さんが、だけれど。

亡くなられたのはそのご主人。奥さんと結婚されたご主人は奥さん側の姓を継いだ。それからでも35年ぐらいにはなると思う。だからやっぱり、古くからのご近所さんだ。

そして、一緒に遊ぶことはなかったようだけれど、奥さんのお姉さんとは同級生。

ご主人と夫は30代の頃には町内のソフトボールチームで一緒だったこともある。

そんなご縁があるものだから、訃報回覧が回ってきた時、夫に見せた。

すると「葬儀に行ってきてほしい」と言った。失語症なので言葉では言えないけれど、私にはそう伝わった。

 

芸能人でも、著名人でも、知っている人が亡くなるのは寂しいものだ。特にファンだったり、何かしら影響を受けた人なら、いくら年を取っていても寂しいと思う。

それなのに、自分より若い方が亡くなったのだ。寂しいと思う気持ちだけではなく、何だか自分と重ね合わせ、頭の中でいろんな思いがぐるぐるとまわり始め、気持ちが沈んでしまった。

 

その方には子どもさんはなく、病気がちな奥さんと二人暮らしだった。そして、治らないと分かっている病気を抱えながらも、年金はまだ満額支給にならない年齢のためなのか、つい最近まで働いていたそうだ。奥さんは病弱で働いていなかったと思う。それにもちろん年金はまだ支給されない年齢だ。だから働かなければらなかったのだろうか。

私はその方のことも、奥さんのこともほとんど知らない。

お互いが一人になった時の生活のことは十分話し合っていたかもしれないし、そのための貯蓄もしていたのかもしれない。そんなことも全く知らない。

だけど、自分に重ね合わせて想像してしまうのだ。奥さんの今後のことや、治らない病気だと知りながら、ご主人は最期の時まで何を考えて過ごしていたのかと。そして、自分と夫のいずれ来る別れの時のことまでも。

そんなことを考えると、気持ちがどんどん沈んでしまうのだ。考えてもどうにもならないことだと分かっているけれど。

 

私は最近人と会うことがなかった。訪問リハビリの担当者や、デイケアの職員は別として。友人とも会っていないし、兄弟にも。

 

それが昨日、友人が潮干狩りに行ってきたからと、散歩がてら沢山のアサリを持ってきてくれた。散歩の途中だったのと、もう夫が寝ていたので、公園の前で少し話しただけだけれど、それでも気持ちが少しだけ上向いた。

 

そして今日。ホントに久しぶりに兄が来てくれた。

兄は仕事から完全にリタイアしてから、地域自治会の役員を引き受けている。だから最近は忙しく、なかなか我家に来る時間が取れなくなってしまったのだ。昨日は小学校の入学式、今日は中学の入学式。そして理事会だとか、この間は居ると聞いていたので家に行くと、町内の方の葬儀で留守だったりと。

だけど今日は兄嫁のYちゃんが実家に行ってきたからと、笹かまぼこを土産に持ってきてくれたのだ。笹かまぼこは味期限が結構短い。だから、何としても時間をつくって来てくれたらしい。だけどやっぱり忙しく、それこそちょっと話しただけですぐに帰ってしまった。それでも私にはすごくうれしいことだった。今の私にとって、一番の頼りは兄なのだから。

 

そういえば今朝、我家の庭にも珍しいお客様が来てくれた。

ホウジロは年中いる鳥だけれど、我家に来るのはほんとにたまのことなのだ。

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 逃げてしまわないように、窓ガラス越しに撮ってみた。

ちょっと小さいので、レンズを交換してもう一枚撮ろうとしたら公園の方に飛んで行ってしまった。

 

 レンズを交換して庭に出ると、公園のフェンスに泊まっていた。

近づくとどこかに飛んで行ってしまいそうだったので、庭から望遠で撮ってみたけれど、やっぱりちょっと小さい。

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友人が来てくれ、ホウジロが来て、兄が来てくれたものだから、どうしようもないことばかり考えて暗く沈んでしまっていた気持ちがいつの間にか元に戻ったようだ。

 

人と会うということは、私にとっては精神衛生上大事なことなのだろう。もちろん誰でもいいというわけではないけれど。私は友人や兄弟の存在にずいぶん助けられているのだと思う。こうして少し話しただけで気持ちが落ち着くのだから、ありがたい存在だ。