えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

スマホに替える気は・・・

長男家族がニューヨークに移り住んで7か月半が過ぎた。

ニューヨークでの息子の任期は2年間。その間は帰国しないつもりだと言い、出かけて行ったのだけれど、彼女(嫁)のお父さんが3日の未明に亡くなったので、4日に急遽帰国した。

息子家族が帰国前に密葬を済ませ、帰国を待って通夜、本葬を行った。

  

息子は何も話さなかったので私は知らなかったのだけれど、彼女のお父さんは2年ほど前に進行ガンだと告知を受けていた。手術は受けたけれど、抗がん剤は使わないと決め、緩和ケアを選んだそうだ。

 

彼女は一人娘さんだ。

息子と結婚することになった時、彼女のご両親から「養子に来てもらえないか」と言われた息子は「自分のところに来てほしい」と言った。そして、彼女も「お嫁に行きたい」と言ったそうで、二人は我家の姓を名乗ることになった。

 

長男の転勤が決まった時、家族そろって渡米することを決断した二人は彼女のご両親のことが気がかりだったと思う。国内にいれば、関東と東海と離れているとはいえ、新幹線なら待ち時間を除けば2時間ぐらいの距離だ。ご両親の心のうちはわからないけれど、複雑な思いだったのではないかと想像する。

 

彼女のお父さんは20代から山登りを始め、国内の100名山と言われる山はもちろん制覇、30数か国の山にも登っていた。いよいよになるまではお母さんとともに3000m級の山にも登り、インドにも行ってきたそうだ。

そして面会に訪れる人たちにはそれぞれの思い出話をし、最期まで皆を笑わせ、緩和ケアの看護師とも毎日笑っていたと聞く。いよいよ個室になった時も「思い残すことはない。これが寿命だから・・・」と言ったそうだ。

 

お通夜の前にお悔やみに伺った私と夫に彼女のお母さんはそんな話をし、彼女とは病室でラインで一日おきぐらいにやり取りしていたと言った。彼女もほんとうは傍にいたかっただろうけれど、スマホの画面を通して声を聞かせてあげたり、顔を見せてあげるのが精いっぱいのことだったのだろう。お互い、覚悟はしていたとはいえ、何とも切なかった。

 

通夜も葬儀も済んだのち、息子家族は我家にも来てくれた。

外で昼食を済ませてから来ると電話があったけれど、孫たちが外食はイヤだと言ったそうで食べずに来た。我家でありあわせのモノを食べ、孫たちは夕方まで大はしゃぎ。

その日は夫はデイケアの日だったので、帰宅するまでみんなで待っていてくれた。そして、送迎車から降りる夫を下の孫が迎えてくれた。

帰宅した時、夫が一人で台所に行くと、3歳になったばかりの男の子の孫が「一人でそんなところに行っちゃうと寂しくなっちゃうよ」と言うのだ。そんな言葉をかけられた夫はニコッと笑い、みんなのいるところに戻ってきた。

 

しばらくしてから息子が「かあさんはスマホに替える気はないの」と聞いてきた。

彼女は「最近は母親世代の人がスマホに替える人が多いようですよ」と。それはラインやスカイプで孫とやり取りをするためらしい。

私のPCにもスカイプは入れてある。息子たちは私や夫にもアメリカの家や孫たちのことも見せたいと思ってもPCだと立ち上げてないとできないのだという。

 

孫のことは別にして、以前は私もスマホに興味を持っていた。でも、外でネットを使うことはないし、電話とメールができればそれで十分だと思うようになった。

 

孫はかわいい。確かにかわいい。

だけど・・・

今の携帯料金は月に1300円ぐらいだ。スマホにしたらかなり増えると思うと考えてしまう。しかも今使っているガラケイは二男がくれたものなのだ。くれた時に「かあさんはスマホの方がいいかもしれないけれど・・・」と言いながらくれたのだけれど。

 

二男がくれたガラケイ。スマホにすれば、遠くに住む長男とはもっと身近になるかもしれない。う~ん。どうしたものか悩むところだ。

 

今朝早く、長男家族はセントレアから成田へ。成田からニューヨークへと帰路についた。もう家に着いたころだろうか。

こんな時もスマホならラインで聞けそうだけれど、私はまだまだしばらくは悩みそうだ。