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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

アエテウレシカッタ

夫は脳出血後の後遺症で失語症となった。

失語症と言ってもいろんなタイプがあるけれど、夫の場合は話すことが全くできない。何度か書いているけれど「お」と「な」と「ん」という3個の単音を発することができるだけ。だから何を言うのも「おんなんなんなん・・・」と言うだけなのだ。

人は「文字盤とか使ってみたら・・・」と言うけれど、できるものならとっくにやっている。言語を作る部分が損傷した運動性失語の夫には文字盤で会話することなどできるわけはない。それなのに、医療者から言われたりすると、ちょっと腹が立ってくる。これは余談だけど・・・

 

でも、日常生活でのことは大体わかる。トイレに行きたいということも、おなかがすいたということも、お茶が飲みたいということも、外に出たいということも。だからそうそう困ることはない。

だけど時々、何かを一生懸命言うのだけれど、何が言いたいのかさっぱりわからないことがある。

今日もそうだった。

朝早く夫に起こされた私は朝の仕事を終えてから、夫のベッドで横になっていた。知らないうちに寝入ってしまったようで、気が付くと夫がベッドのところに来て、何かを一生懸命言おうとしていた。それがさっぱりわからない。

 

朝早く起こされ、また起こすのかと私はケンカ腰。それでも夫は一生懸命「おんなんなんなん・・・」と言いながら、左手で昼間過ごす洋室の方を指さし、自分と一緒にそちらに来いというのだ。(言葉でなくてもそれは分かる)

もっとベッドでゴロゴロしていたかったけれど、仕方がないので起きてそちらに行くと、夫は左手を動かしながら、またもや「おんなんなんなん・・・」と言っている。エアコンを指さしているようにも見えたので「寒いの?」と聞いてみると、首を横に振る。すると、今度はミニコンポのリモコンを持ち、ボタンを押そうとする。「CDを聴くときはいつも本体のボタンで操作するのに・・・」と思いながら「ステレオを聴きたいということ?」と聞くと、首を横に振る。こうなるともうお手上げ状態だ。「悪いけどわからない」と言うと、今度は電話機の子機を持ちボタンを押そうとする。「電話? どこかにかけたいの?」と聞くと、首を横に振りながら子機を私に渡した。見ると留守電の表示。ここでやっと言いたかったことが分かったのだ。私がウトウトしていた時に電話がかかり、留守電のメッセージが流れていたということが。

 

電話をくれたのは夫の先輩だった。

先輩は夫より何年か前に脳出血を発症した。幸いなことに、わずかに視野狭窄が残ったけれど、ほとんど後遺症もなく回復した。

それがどのぐらい前だっただろうか、再出血して左半身にわずかにマヒが残ってしまったと電話があった。そしてその時、医師から車の運転を止められたこと、我家に来たいけれど奥さんが一緒でないと来られないこと、外に出られなくてストレスが溜まっていること等など、話した。

それ以来、夫も私も先輩のことが気にかかっていた。だけど、エレベーターのない団地の4階に住んでいる先輩の家には行くことはできない。それで、夫に絵手紙を書いてもらい、何度かお見舞いはがきを出すことぐらいしかできなかった。

 

そんな先輩からの電話だったのだ。

急いで、折り返しの電話をしようとしていた時、家の前に車が止まり、先輩が来てくれた。手にはビニール袋に入れたサンチュとモロッコいんげんと抜き大根をお土産に持ち。

 

先輩は再出血した後、杖を使用していると言っていたけれど、杖もなく歩行できていた。マヒもほとんど感じなかった。ただ、もとより脊柱管狭窄症もあるので200mも歩くとかなり痛みが出現するらしいけれど。それでも元気そうな姿に私たちは安心した。先輩は「空元気だよ」と言っていたけれど、空元気だって何だって先輩の笑顔を見ることができて、私たちはとにかくうれしかった。

 

午後から、夫には先輩からいただいたモロッコいんげんで絵手紙を描いてもらった。

本人は思うように描けずに首を捻っていたけれど、私にとってはこれだけ描けるようになったのだから上等だ。 

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夫の失語症は「話すこと」と同じように「文字を書くこと」も難しく、ほとんどの字が書けなくなってしまった。

だけど絵手紙だから、そんなときには練習だ。

これは字を書く前の写真だけれど、カタカナで「アエテウレシカッタ」と書いた。そして、右下の絵手紙を使って明日投函する予定でいる。

ほんとうに、ほんとうに、会えてうれしかった。