えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

分からないこともあるけれど

今年は年末の大掃除はしないことに決めた。長男家族が帰省することはないし、二男はどうなるか分からない。正月には夫の姉家族と弟家族は来てくれると思うけれど、仏壇に手を合わせたらいつもすぐに帰ってしまう。だから仏間だけは少し丁寧に掃除をするつもりではいるけれど、後は最低限のことだけにする。余分な買い物もしないつもりだ。

 

それでも年賀状は出す。それは夫のリハビリだと思うから。

だいぶ前、夫はサルの絵を描いた。夫が倒れてからは描いた絵をスキャナーでPCに取り込み、それを印刷し、印刷したはがきに一枚一枚色付けをするようになった。一枚一枚色付けしてもやっぱりプリントゴッコで印刷し、それに色付けしたもののような味は出ない。だから今年は以前のようにプリントゴッコを使ってみようと思っていた。ところが出してみるとランプの接触が悪いのか、断線なのか分からないけれど、点灯しなくて使えなかった。残念だったけれどプリントゴッコは諦めることにして、今年も原画をPCに取り込んだものを印刷し、それに色付けすることにした。と言っても夫が、だけど。

で、この間から少しづつ色付けを始めていた。

 

どうせ出すのならばできれば25日までには投函したい。そう思ってこの間の日曜日は朝から年賀状に取り組んでいた。

根を詰めて描いていたせいか疲れたようで、夫は昼食を食べるとすぐにベッドに行き寝てしまった。

 

1時間ぐらいお昼寝をしたころ、玄関のチャイムが鳴った。

出ると、夫の先輩と奥さんだった。

何度か書いているけれど、先輩は脳出血後再出血を起こした。ほとんど後遺症はないけれど、医師を始め周りから車の運転を止められ一人で夫のところに来ることができなくなった。それで奥さんに乗せてきてもらい、久しぶりに会うことができた。

 

先輩の奥さんはご実家がミカン農家で、いつも年末にはそこのミカンを持ってきてくださるのだ。その日もミカンとゆずを持ってきてくださった。

奥さんは「絵を描いてもらおうと思って葉っぱが付いているのを持ってきたんだけど、ほとんど取れてしまった・・・」と言いながら、夫に葉っぱの付いたゆずを手渡してくれた。

そのゆずを見た夫は顔を綻ばせ「おう、おう、おう・・・」と声をあげて喜んだ。

 

しばらく話したあと先輩たちが帰られると、夫は年賀状を隅に移動させ、ゆずの絵を描き始めた。

 だけど、何枚書いても思うように描けないようで描いては破り、また描いては破りしていた。

で、やっと2枚完成させた。

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 字は何度も練習してから書いたけれどうまく書けない。例えば「う」の点は普通は上から下に書くのだけれど、夫は何度言っても下から上に書くのだ。それに平仮名は難しいし、カタカナも難しい。失語症はそういう時、見ていて本当に 辛くなってしまう。

 

どちらを先輩に出すのか聞いたとき、左と答えたと思った。それでそちらに「有がとう」と書いた。

翌日の月曜日、夫がデイケアに行っている間に宛名側にお礼の言葉を書き、投函した。もちろん、夫には投函しておくことは伝えた。

 

デイケアから帰宅した夫に投函したことを話すと、残っていた右側のハガキを見て怒り始めた。どうやら出したかったのは右側のハガキだったようだ。もう出してしまったものは仕方がない。「もう一枚出そうか?」と言うと、不機嫌な顔をしてゆずを並べ始め、また新しい絵を描いた。

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右側のゆずが欠けているように見えるのは夫にはそう見えたのか、高次脳障害の右半側無視とまではいかないけれど注意障害のせいなのかは分からない。

まあ、どっちにしても作者が同じだから変り映えはしないのだけど。

 

「もう一枚出すの? どっちを出すの?」と聞いたけれど、どうしたいのかがよくわからなかった。希望に沿ってあげたいと思うけれど、今回は本当に分からなかった。

 

失語症になって5年と3か月。話せなくなってしまったけれど今は日常生活で困ることはあまりない。でも、何を言いたいのか分からないことはたくさんある。分かってあげられないのも辛いけれど、分かってもらえないのはもっと辛いかもしれない。

そう思うけれど、

ゆずの絵のことはきっとそのうち忘れてしまうだろう。だからもうファイルにしまい、私のものにしてしまうつもりでいる。