えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

おとなのためのおはなし会

市の広報は月に2回発行され、組長さん経由で各戸に配布される。

広報だから、市民として知っておかなければならない情報はもちろんなのだけれど、そのほかにも「情報ひろば」として、催し物の情報、暮らしの情報などが載っている。なので、広報が届くとすぐに隅から隅まで目を通している。特に催し物の情報「楽しむ・学ぶ」というところには興味深い講座やいろいろなイベントが載っているので大げさな言い方だけれど、目を凝らして読んでいる。だけど、今の私が自分のために使えるのは月・水・木だけ。しかも家を出るのは早くても9時以降、帰りは遅くても4時には家に戻っていなければならない。講座にしてもイベントにしても土・日に開催されるものが多いものだから、いくら目を凝らして見ても大抵は参加できないのだけれど。

 

先回の広報、1月15日号を読んだとき「おとなのためのおはなし会」という案内に目が留まった。時は2月1日(月)午前10時~11時。場所はアイプラザ豊橋。対象は高校生以上。内容は「絵本などを使わず、言葉だけで物語を楽しむおはなし会です。日本の昔話やグリム童話などを語ります。」とあった。

「これなら聴きに行けるじゃない!!」と思わず声が出てしまった。

 

子どもたちがまだ小さかったころ、寝る前に本の読み聞かせをしていた。私の両脇に子どもたちを寝かせ、絵本だったり、昔話であったり、時には私がでたらめに作ったお話であったりもしたけれど。怖い話は避けてほっと温かい気持ちになるような話を選んでいた。

 

自分が子どもの頃のことは良く覚えてないけれど、家の本棚には昔話の本や童話の本が大人の本に混じって並んでいた。浜田廣介だったり、小川未明新美南吉宮沢賢治椋鳩十などの全集やアンデルセン、グリム、イソップなどの世界童話全集などなど。今思うと、昔の童話はちょっと残酷だったり怖い話が多いような気がするけれど、当時はそんなものばかりだったので夢中で読んでいたような気がする。

 

大人になってからは朗読も好きだった。最近はラジオを聴くことはなくなってしまったけれど、朗読がかかっていると知らず知らずのうちに話に引き込まれ、聞き入っていた。

そして、テレビでしか聴いたことはないけれど、長岡輝子さんが読む「雨にも負けず」や市原悦子さんが読むこどもの詩集「たいようのおなら」には震えがくるほど感動した。

 

そんなわけで、大人のためのおはなし会へ行ってみたいと思った。定員は20名(先着順)と書いてあったので申し込もうと思い、問い合わせ先である図書館へすぐに電話を入れた。ところが申し込みは必要なく、直接会場へ行けばいいと言われた。

 

そして今日。夫はデイケア日に行く日であり、おとなのためのおはなし会の当日だ。

夫はいつものように送迎車に乗って出かけることができたので、私もおはなし会に行くことができた。先着20名とのことだったので少し早めに家を出たら30分も早く会場に着いてしまった。何せ、初めてのことなので年を取るとこんなに気が急くものかと自分でちょっと呆れてしまったぐらい早かった。

 

会場は図書室のおはなしの部屋。多分・・・だけど、20名弱。ほとんどが関係者のようだった。

幕で囲われた部屋に座り、時間になるとおはなしのろうそくを灯し、おはなしが始まった。

 

これはプログラム。 

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前半に4話。なかで一休みし、後半に4話。1人1話づつ話された。

 

対象は高校生以上となっていたけれど、たぶん1歳に満たない小さな子どもさん連れのお母さんがみえた。途中でぐずりはしないかと心配したけれど、やはり途中で声が出始めた。聴き手より語り手が集中できるだろうかと気になったけれど、その辺りも語り手は巧みなものだった。そして、すぐにお母さんではなく会の人らしき人が子どもさんを外に連れだしあやしていた。その後は全く気にならなくなったので、私はもちろんだけれど、そのお母さんもおはなしの世界を十分に楽しめたのだろうと思った。

 

おはなしは朗読ではないので語り手は話の内容を完全に覚えていて、しかも巧みにテンポよく語る。それだけでもすごいことだと感心してしまうけれど、どの語り手も巧みな語りで、私はおはなしの世界に引き込まれていった。そして、あっという間に1時間が過ぎた。

 

この大人のためのおはなし会は年に4回開催しているそうだ。そして月曜日に開催することが多いということだった。それなら次の時にも聴かせていただけるかもしれない。そう思ったらうれしくて、今もまだ余韻を楽しんでいる。