えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

ねばり勝ち

10日ほど前、夫の先輩のKさんとOさんがお二人そろって来てくれた。

以前は別々に来てくれたのだけれど、Kさんが2度目の脳出血を発症されたあと、ほとんど後遺症らしい後遺症はないのだけれど、家族や医師から「運転はやめた方がいい」と説得され、車の免許証を返納されたので一人で来ることができなくなったからだ。

 

その時、Oさんが家庭菜園で収穫したナス、キュウリ、シシトウ、ピーマン、クロウリなどなど、たくさんの野菜をビニール袋に詰めて持ってきてくれた。

そして、1時間半ぐらいお茶を飲みながら話をし、お帰りになった。

 

先輩がお帰りになると、夫はいただいたビニール袋の中からナスを1本取り出し、絵を描くときの目をして眺めていた。私が「描くの?」と聞くと頷いたけれど、私は夕食の支度をする時間だったので「描くなら私の分も含めて最低でも3枚は描いてよ」と言い、墨を擦り、絵具と水の準備だけして台所に向かい、夫のことは放っておいた。

 

すると、夕食前に4枚描いてあった。 

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左側2枚が先輩に出すためのもので、右側2枚が私用。作者が同じなのでどれも変わりはないように見えるのだけれど、本人には本人のこだわりがあるようだ。

 

空白には夫が何か言葉を書けるといいのだけれど、悲しいかな夫は失語症。今までに何度か「アリガトウ」とか「マタキテネ」という言葉を書いたことはあるのだけれど、練習しても字を書く行為はとても難しく、思うようには書けなかった。それで、今回は投函が遅れ、立秋も過ぎてしまったことから、私が「残暑お見舞い申し上げます」と書き、宛名側の下半分には感謝に気持ちを書いて出すことにした。

 

「残暑お見舞い申し上げます」という言葉を書く前、A4コピー用紙にナスの絵の上に字をどう配置すればいいのか考えながら筆ペンで書いてみた。そして、夫にそれでいいかと確認した。

 

そこまでは良かったのだけれど・・・

そのあと、そのコピー用紙を手に取り、私に何かをしきりに言うのだけれど、何が言いたいのかさっぱり分からない。言葉が話せなくなってからも日常生活で困ることはあまりない。だけど、こうして全く分からないことがたまにある。

 

まだ誰かに残暑見舞いを出したのか聞いても違うという。でも、同じようにコピー用紙を差し出しては何かを訴える。それが1日に何度もあり、そんなことが2日も続いた。そして昨夜、そのコピー用紙を手で破ろうとした。と言ってもくしゃくしゃに破るのではなく、字のところを残すように。

そこで初めて「字の部分を切り取ってほしい」と訴えていることが分かった。で、切り取った紙をファイルに取っておくのだろうと思いながら、左手用の鋏を渡し、夫が自分で切れるように手助けをした。

 

今朝、デイケアに行く時、その紙を折りたたんで持っていこうとした。で、3日目にしてようやく夫が何を言いたかったのかが分かったのだ。

 

この間、デイケアへの連絡帳に体調のこと以外に「ナスの絵を描きました」と、書いた。デイケアでは塗り絵をすることが多いのだけれど、その日の返事には「デイケアでもナスの絵手紙を描きました」とあった。だから、その絵手紙にも「残暑お見舞い申し上げます」と書きたかったのだ。

 

字を書くことは失語症の夫には難しすぎる。だけど、書けないと決めつけてはやる気が失せてしまう。それで、経緯をお迎えに来てくれた介護士さんに伝え、デイケアに出した。

 

夫が出かけた途端、分かって良かったという気持ちとともに、分かってあげられなくて格闘した3日間の疲れがどっと押し寄せてきた。

でも、分かってあげられない辛さよりも、分かってもらえない方がもっと悲しくて辛いことだと思う。それなのによく諦めず、訴え続けたものだと感心してしまった。そして、私に伝わったのは、諦めることなく伝えようとし続けた夫のねばり勝ちだと思った。

 

因みに、今日はデイケアに隣接する整形外科受診のため、夫を迎えに行った。

その時、朝の介護士さんが「字、ちゃんと書けましたよ」と、飛んできて教えてくれた。そして、利用者が描いた絵手紙を展示してあるところに案内し、見せてくれた。

見ると「残暑お見舞い申し上げます」と、きちんと、間違いなく、思ったよりずっときれいな字で書いてあった。

本当に少しづつだけれど、着実に回復していると感じるうれしい出来事だった。