えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

9月1日のETV特集を見て

朝、新聞を読む時、テレビ欄もチェックする。

最近はあんまり見たいと思う番組もないけれどそれでも時々「この番組は見たい」と思うことがあり、そんな番組はすぐに録画予約をしておく。リアルタイムで見ることができないし、もしも知らずに見逃したりすると残念でならないからだ。

 

この間の土曜日(9月1日)、「ETV特集 少年俳人小林凛・いじめ不登校 俳句で生き抜いた日々」という番組を見つけ、すぐに録画予約しておいた。

 

小林凛くんのことを知ったのは5年前のこと、その時にこんな記事を書いた。
emukobb.hatenablog.com

当時、凛君は11歳だった。この本の帯には「朝日俳壇」で話題!

天才少年が詠んだ、優しくて残酷な世界。とある。

 

凛君は朝日俳壇に投稿し、小学生ながら何回も掲載されていた。私はそれ以前から週1回の俳壇・歌壇を読むのを楽しみにしていたけれど、凛君の本を読むまでは彼の名前に気づかなかった。でも、それからはまず凛君の名前を探すようになり、掲載されているとうれしかった。そして8月26日、久しぶりに彼の俳句を見つけたばかりだった。

原爆忌幾万人の贄の声

私の中ではまだ小学生だった凛君。こういう俳句を詠むようになったんだと、彼が大きく成長したのだと感じた。5年も経っているのだから当然のことなのに。

 

この間、本屋さんに行った時にも、書棚にこんな本も見つけた。 

生きる: 俳句がうまれる時

生きる: 俳句がうまれる時

 

検索したらこんな本も 、

冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れずに

冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れずに

 

こんな本も出版されていた。 

ランドセル俳人からの「卒業」

ランドセル俳人からの「卒業」

 

 番組を見ていたら凛君はもう高校2年生になっていた。

小学校も中学校も不登校だったけれど、本の読者から「あなたにふさわしい高校がある」と教えられ、すぐに見学に行き、中3の終り頃だったけれど「このまま足踏みをしていてはいけない。前に進みたい」という気持ちを持っていた凛君は受験を決め、それから受験勉強をし、見事合格したそうだ。その学校は国語教育に力を入れているらしく、今では親しい友人もでき、久しく友人と遊ぶことがこんなに楽しいことだと忘れていたと言っていた。

 

小学生の頃、朝日新聞の「100歳あるがままに生きる」という日野原重明先生のコラムに俳句について書かれていた時、感想を書いて送ったそうだ。そうしたら日野原先生から返事が来て、俳句の文通が始まったという。それから先生が亡くなるまで文通が続いた。凛君は先生と出会わなかったら人を憎み続け、今でも恨んでいただろうという。

今でも同級生は許せても大人は許せないでいると言いながらも、高校に行くようになり世界が広がった。そして親しい友人もでき、今は生活に色彩が出てきたという。それもブルーレイのようにすごくきれいな色彩だそうだ。

 

そんな番組を見ていて凛君の一ファンとしてとても嬉しく思った。

いじめを受けて不登校だった頃には虫などの生き物や自然を詠み、自分の気持ちを表現していた凛君も今では人も詠むようになったそうだ。

ほんとうに良かったと思う。

 

テレビを見ながら完成させた刺し子の第5作、矢羽根。 

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第6作、青海波。ブルーの濃淡2色で刺してみた。

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まだまだ上手に刺せないけれど、写真より実物の方が少しは良いと思う。