えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

いくつになっても、何年たっても

今日は母の命日だ。

もう44年も経ってしまった。

今週も来週もいろんな予定が入っていたし、月曜日は雨が降っていたので迷ったけれど、やっぱりお墓参りに行きたくて、小雨になった時を見計らって行ってきた。

 

お墓参りに行ったとはいえ、今日は命日だ。朝から母のことばかりが思い出され、1日中偲んでいた。

いくつになっても母は恋しいし、何年たっても母に会いたいと思う。実生活ではそんなことを思っても口に出すことはないのだけれど。

 

ご近所に95歳と96歳になられる小母さんがいる。

95歳の方は同じ敷地内に娘さん家族が住んでいるけれど、一人暮らし。歩行器を使い、お一人で老人会にも出席しているし、市民館の短歌の倶楽部にも入っている。

96歳の方は独身の次男さんと二人暮らし。この間見かけた時には、まだ杖を使うこともなく、ご自身の足で歩いていた。

母の方が少し年上ではあるけれど、お二人とも母と同年代だ。このお二人を見かけるたびに母が生きていれば・・・と、早くに亡くなった母のことが思い出される。

 

病気になってからの思い出は辛いことばかりだけれど、それまでの思い出は楽しかったこと、嬉しかったこと等など、幸せだったことばかりだ。会いたいし、もうこの年になると「いつでもお迎えに来ていいよ」といいたいところだけれど、今の私は夫を置いてまだあの世へは行くわけにはいかないのだ。だからお墓参りに行くと、お線香をあげながらしばらく心の中で話をして、最後にはいつもそう言って帰ってくる。

 

今日は私の中にずっと母がいたような気がする。やっぱり会いたいなあ。でも、私よりずっと若い母の顔しかわからない。