えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

今日のできごと

今日はごみゼロ運動の日だった。

朝、7時30分から町内の組単位で一斉に行われ、きれいになったところでお開きになる。

ごみゼロの日の度に書いているような気がするけれど、我家は夫の状態によって決められた日時に参加できるかどうか分からない。なので、その前1週間を私のごみゼロ週間と決め、できる時間に少しづつ外回りの草取り、側溝の掃除などを行うようにしている。そして土曜日には最終チェックを行い、当日参加できなくても良いようにしておく。もちろん、今年もそうした。と言いながら、毎年参加しているのだけれど。

 

夫を起こし、身体拭きをして着替えの介助。そして、車いすに移動させる。今日は朝食を食べるところまではできなかったけれど、身体拭きの前にトイレは済ませておいたので30分程度なら大丈夫だろうと思い、夫には説明して外に出た。

それなのに、30分もしないうちに「おー、おー」と大きな声で私を呼ぶ声が聞こえてきた。窓が見えるところまで戻ると、「おー、おー」と言いながらトイレの方を指さしている。町内の方たちに一足先に終了させてもらうと伝え、家に戻った。

 

これで今月の予定はほぼ終了し、後は、植木の剪定代金を支払いに信金に行くだけになったとホッとした。ところが、朝食を済ませ、再度トイレに行った時、夫を転倒させてしまったのだ。

 

酷く転んだわけではない。だけど、狭いトイレで変な態勢になり、唸り声を上げている。怪我の有無は分からないけれど、救急車を呼ばなければならない状態ではなさそうだった。

夫の体重はたぶん、73、4㎏。右半身は全く動かない。動かそうにも私の力ではびくともしない。近くに住む義弟に電話してみたがつながらない。道を挟んだお向かいのご主人は理学療法士さんだ。組も違うし、会えば挨拶をする程度のお付き合いだけれど力を貸してもらえないかと勝手口から見ると、ご主人の車がなかった。あとのご近所さんは私たち夫婦より年長者ばかりでお願いするのも憚られる人ばかりだ。兄は連絡が取れたとしても我が家まで来るのに4、50分はかかる。

 

こうなったら仕方がない。自分で何とかするしかない。そう覚悟を決め、できる限りの力を振り絞った。

車椅子をどけ、ベッドを一番低い位置にセットし、夫の身体の下に「イザエモン」という移動介助用の道具(輪になったナイロン製の布)を敷き、夫を羽交い絞めにするように後ろから脇の下に手を入れ、ベッドまで引きずった。トイレからベッドまで4メートルぐらいだろうか。そして、ベッドにもたれさせ、膝を立てるように態勢を整え、私がベッドの上に乗り、引き上げた。こうして文字にしてしまうと簡単そうだけれど、私は汗だく。時間もかかり、夫はかわいそうにずっと痛そうな声をあげていた。

 

ベッドにあげてから怪我がないかをチェックした。健側の左足は腫れもなく動き、苦痛表情は見られなかった。患側の右足も大丈夫そうだったのでそのまま様子を見ることにした。ただ、転倒で疲れてしまったし、私が530のため、夫を早く起こしてしまったこともありお昼寝をさせた。かなり疲れていたのだと思う。1時間以上寝ていた。

 

お昼寝から目覚めた時、車いすに移動できるだろうか、トイレに行けるだろうか、心配したけれど、どちらも大丈夫だったのでホッとした。

 

老々介護、年寄りだけの暮らし、普段は何とも思わないけれど、こういった時は本当に困ってしまう。それでも、何とかするしかないのだけれど。