えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

スマホデビューした

11月だったと思う。携帯の会社からゆうメールが届いた。

それは、私が使っているガラケイの修理受付が終了するいうもので、ガラケイ自体も2026年でサービスが終了すると書いてあった。そして、初めてのスマホ割とか、機種割引の案内もあった。

 

以前からスマホには興味はあった。だけど、夫が倒れてから外出の機会が減っただけではなく、短時間しか出かけられないし、しかも近くにしか出かけない。なので、外出先でインターネットを使うことはない。電話だってメールだってそんなにするわけではないけれど、緊急時のことを考えると携帯は必要だと思う。家にはネット環境があるから携帯は電話とメールができれば十分だ。スマホに興味があっても変えなかったのは料金が安いから。私の場合は1300円強だから。

だけど、変えなければ近い将来使えなくなるのは周知の事実。実際、私の友人や夫の友人も次々とスマホに変えている。

私のガラケイは壊れているわけではないけれど、バッテリーはもう2年ぐらい使っている。だから近いうちに交換が必要になる。修理の受付が終了ということはバッテリーもなくなるということ。だと思う。

で、11月から検討していた。それでやっと、昨日スマホに変えた。

しかし・・・ 

私は初めてのスマホのはずだった。そしてたくさんの割引を受けられると思っていた。それなのに、データー上は7年前にスマホを購入した履歴が残っていた。次男の仕業だと分かったので仕方がないのだけれど、実際には初めてのスマホなのに、何のサービスも受けられなかった。

そうはいっても履歴は変えられない。ガラケイが使えなくなるぎりぎりまで待とうと思ったけれど、息子のこと、まあ、仕方がないと諦めることにした。

 そして、本当に初めてスマホを手にした。

 

お店で電話帳だけは移行してくれたけれど、初めてのスマホは使用説明書はない。

以前、スマホを持っていないのにEテレで「初めてのスマホ」という番組を見た。だから少しは分かる。

先ずは電話をかけてみた。そして、メール。そこまでは何とか。

契約は1ギガ。Wi-Fiを設定しようと思い、この忙しくてたまらない時期なのに取説をダウンロードして奮闘。でも、パスワードが分からず悪戦苦闘。試して、試して、やっとできた。若い人なら何ともないことだろうけれど高齢者(私にとっては)にとってはパソコン以上にハードルが高い。電話とメールは分かったのだからあとは子どもたちの帰省を待てばいいと思いながらもこれが待てない。気が付いたら1日で320MBも使っていた。1ギガを越えたら料金が増えるだけなのだけれど、年金生活者なのだから超えないようにしなければ。

 

やっとスマホデビューなのか、仕方なくスマホデビューなのか分からないけれど、とにかくスマホデビューした。今は悪戦苦闘もまた楽し。というところだろうか。

 

夫のデイケアの日だけ、朝夕に庭しごと(庭めぐり)。少し前から大好きな水仙があちこちで咲き始めた。

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師走は気忙しい

今年も残すところ10日となってしまった。

12月に入ってからずっと気忙しかったのだけれど、このところますます気忙しくなり、心がわさわさするようになってきた。

 

夫は26日までで今年のデイケアはお終い。1月5日までの10日間は24時間家で過ごす。

長男家族は28日の夕方帰省するとのこと。次男はたぶん30日だという。

 

あと10日。そのうち、自分が動けるのは3日しかない。

月曜日にはあれとあれを。水曜日にはあれとあれ。木曜日は・・・最後に買い物をしておかないと。

 

頭の中も行動予定がぎっしりと詰まっているけど、私はメモ魔。台所のテーブルの上のメモ帳にも、パソコン机の上のメモ帳にも、テレビが置いてあるテーブルの上のメモ帳にもついつい書いてしまう。予定に、忘れてはいけないことに、正月までに買っておくもの等など。

 

当然のことだけれど、できることだけのことしかできないことは分かっている。どこで諦めるか、今はまだ諦められないでいるから、気忙しくて、気持ちがこんなにわさわさとするのかもしれない。

毎年のことだけれど、師走ってなんでこんなに気忙しいのだろう。

あと10日。でも、きっと26日を過ぎれば諦められると思う。自由がきかなくなってもう何もできないのだから。

久しぶりの外出

毎月、月末になると組長さんを通して市の広報が配布される。

広報が届くと一通り目を通し、しばらくの間は机の上に置いておく。再度見たければ、ネットでも見ることができるので数日すれば雑紙入れの中に入れてしまう。

 

今月号が届いた時も一読した後、机の上に置いておいた。すると夫がそれを見て私を手招きし、美術館の記事を指さした。そこには市民展開催の案内が書いてあった。

 

夫が倒れる前、毎年一緒に市民展を見に行っていた。倒れてからも数年前までは行っていたけれど、最近はデイケアと病院以外に外出することがなくなった。というか、外出したがらなくなった。私自身も年と共に二人の外出がきつくなってきたせいもあり誘わなくなっていた。

それが市民展に行きたいと意思表示をしたのだ。これは絶対に行くしかない。

 

絵画と彫刻の部は今日から日曜日まで。夫と行ける日は火・金の午後と土日だけ。週間天気予報では今日は雨、日曜日も雨の予報。あとトイレ事情もある。

 

今日はやっぱり雨の予報に変わりはなかった。ただ1日中降り続くわけではなく、降ったり止んだりの予報だった。空はどんよりしているし、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。

 

午前中の訪問リハビリ前にトイレは済んだ。リハビリの間も雨は降りそうで降らず。時々、空は明るくなったりもした。

以前、こんな空の時に出かけて酷い目に合ったことがある。だけど、週末には床屋にも行きたいし。「えーい、降った時は降った時だ。行ってしまえ・・・」ということで、今日、行ってきた。

 

夫は久しぶりの美術館だ。言葉を失ってしまったのでどう感じたのかはわからないけれど、絵を観ている時の顔を見ていると、やっぱり絵が好きなんだと思う顔をしている。

 

いつもだったら絵を観た後、美術館内の喫茶店でお茶を飲むか(時間によってはランチ)、数分歩いたところにある三の丸会館でお抹茶をいただいて帰るのだけれど、今日は今にも雨が降り出しそうだったので真っ直ぐに帰宅した。

 

お茶することはできなかったけれど、市民展を観に行くことができて良かった。雨も降らなかったし・・・

弟のこと

今週もいろんなことがあった。

毎日、書こう書こうと思いながら結局は何も書くこともなく、今日に至った。

だけど、忘れないように書いておこうと思う。

 

水曜日は弟の命日だった。で、水曜日にお墓参りに行こうと思ったら、日曜日の時点でその日は雨の予報。ならばと、月曜日に行ってきた。結局は月曜日に晴れの予報に変わったのだけれど。

 

弟は子どもの頃からとてもやさしかった。それでか、私と違い、男性にも女性にも持てたというのだろうか、周りにはいつも友人がいた。そんな、人に恵まれていたように見えた弟だったけれど、自分にも優しい性格が災いしてか、家族には恵まれず、最期は一人で逝ってしまった。

 

弟はそこにはいないのだけれど、お墓参りは実家のお墓。弟のいるところまではいけないので命日前後には両親のいるお墓へ行くことにしている。

決して死後の世界があると思っているわけではないのだけれど、子どものころ甘えん坊だった弟のことだから「あの世で両親に会えただろうか・・・」「会えてるといいな・・・」などと思ってしまうのだ。で、実家のお墓参りに行き、両親と弟のことを話してくる。まあ、弟のことを偲ぶのは私と兄ぐらいしかいないような気がするし。

 

逝った時から毎年思う。一番下が一番先に逝ってしまうなんて反則じゃないのか、寂しいじゃないかと。

市内電車に乗って

木曜日、ガタゴトと市内電車に揺られ、駅前まで行った。

目的は30代から40代の頃、夫とたまに行っていた喫茶店で開催中の水彩画のスケッチ展(回顧展)を見に行くことと、他にもいくつか。

 

茶店がある商店街には駐車場があり、30分までなら無料券がもらえる。駅前にも公共駐車場があり、そこの駐車券も手元にたくさんある。なので、いつもだったら車でサッと出かけるところなのだけれど、この間から電車に乗りたいという思いがむくむくと湧いていた。本当はJR に乗りたいのだけれど、それはムリなのでせめて市内電車で行ったというわけだ。 

 

最寄りの電停まで歩き、そこから駅前まで電車で 約30分。「新幹線なら名古屋まで行ってしまうなあ・・・」と思いながら、見慣れた景色を眺め、それでも贅沢な時を過ごした。

 

駅前から商店街の中を歩き、目的の喫茶店までは5分程度。そこの商店街はもう10年以上も通っていないような気がするけれど、歩いている人もまばらで何だか寂しかった。

 

コーヒーを飲みながら水彩スケッチを楽しみ、自分のことは棚に置き「マスターも年をとったなあ・・・」なんて思う。

 

茶店を後にし、今度は違う商店街へ。こちらはメインの商店街なのにやっぱり人通りは少ない。「ほんと、田舎だなあ・・・」と思いながら都市銀行へ行く。

用足しを済ませ、今度は手芸店を散策。そして、駅ビルへ。欲しいものはあったのだけれど、買いたいと思えるほどではなかったし、大きなものは車ではないのでやめておいた。デパ地下か駅ビルの食料品売り場で夕食用の総菜でも買って帰ろうかと思ったけれど、食べたいものも見つからず「いつものスーパーへ行こう」と早々に帰ることにした。

 

市内電車の本数は多いのですぐに来た。そして、またもやガタゴトと揺られ、見慣れた風景を眺めながら、電車を楽しんだ。

 

片道、約30分。10月までは150円だった運賃は消費税が上がり、180円になった。往復運賃360円とコーヒー代420円。私にとって780円の贅沢だ。だけど、それだけで十分楽しめるのだからなんと幸せなことだろうか。

夫がデイケアに行かない日のこと

夫がデイケアに行かない日は夫が目覚める前と就寝後が私の自由時間だ。

起床は夫がトイレに起きる時間にもよるけれど、6時少し前なら私はそのまま起きる。4時、5時ならもう一度寝る。そして、夫には眠れるだけ寝ていられるように静かに朝の仕事を始める。大体、夫が完全に目覚めるまでに2時間ぐらいある。私が起きる時間によっては30分もないことがあり、そんな時はちょっとがっかり。

 

朝起きると、着替えを済ませ、ごみ出しがある日はごみ出しに行く。燃やすごみの日には玄関回りの掃き掃除をしてから。今日も昨日の雨風で散った庭木の落ち葉を掃いてからごみ出しに行った。

そして、新聞を取り込み、お天気がいい日には離れの窓を開けに行く。次はやかんにいっぱいのお湯を沸かす。夫の身体拭き用と私の蒸しタオル洗顔用、朝食時のお茶用とわたしのコーヒー用。

 コーヒーを淹れ、パソコンを立ち上げ、新聞にざっと目を通し、それからネットサーフィンをする。たまに、お湯を沸かすところまでしかできない日があるけれど、そんな日は本当にがっかりしてしまう。今日は何人かのブログに訪問することができたのでまずまずの始まりだった。

 

夫が目覚めると身体拭きをし、着替えの介助。これは殆どが全介助。

洗濯物を洗濯機に放り込み、朝食の準備。食べて、片付けて、その間に洗濯が終わるので干し、掃除にかかる。火曜日は11時10分までに、金曜日は10時20分の訪問リハビリが始まる前までに終了すればいいので余裕だ。土・日は訪問リハビリがないので掃除機をかけることもないのでもっとゆとりがある。

訪問リハビリが終わればすぐに昼食の準備にかかり、食べて、片付けて、後は夕方4時ごろまでだらだらと過ごす。だらだら過ごさなくても、その間にやれることをやればいいのにと思うけれど、新聞を読み返したり、本を読んだり、録画番組を見たりするそんな時間も貴重なのだ。1、2時間ごとのトイレ介助は必ずあるし、洗濯物を取り込んだり、それを片付けたり、離れの窓を閉めに行くのも4時までにはしているのだから完全にだらだらできるわけではないけれど。

4時過ぎれば今度は夕食の準備。夫が倒れてからの夕食は早く、5時か5時30分には食べ始め、6時までには食べ終えている。元気だった頃とは雲泥の差だ。

夕食の片づけをしながら最近は湯たんぽを準備し、布団乾燥機で夫の寝具を温めておく。

夕食後は夫の洗面介助。歯磨きは先ずは夫自身に磨いてもらい、その後で私が磨き直しをする。そして、タクトブラシ、歯間ブラシ、フロスで磨いて終了。そのあとはテレビの前でだらだらと過ごす。

最近の夫は就寝時間が遅くなった。それでも、時計をちらちらと眺め、8時ごろにはトイレを済ませ、ベッドに入る。そこもほとんど全介助。

夫がベッドの入ればテレビを消し、照明も暗くする。それからあとは私の自由時間になる。

 

今日もこんな風に過ごし、夫は夢の世界に入って行った。

こんな時間から何かができるわけではないけれど、隣の部屋でこたつに潜り込み、一人の時間を十分に楽しんでいる。

キャラメルポーチがやっとできた

毎月、第一水曜日は「簡単リメイク講座」の日だ。2月から始まり、8月はお休みだったので9回目になる。

 

11月の講座はキャラメルポーチだった。2時間では私はもちろん、誰もが完成することができず、家で完成させても良し、12月に続きをやっても良しということになった。だけど、もう作ってしまった人もいると聞くし、12月はペットボトルケースを作ることに決まっている(受講者の一人が希望したそうで)。次回も同じものを作るなんて何だかもったいないような気がするし、遅れ遅れになるのもイヤだ。で、私は家で完成させることにした。

作り方自体は決して難しいものではないけれど、ファスナーをつける箇所がある。ファスナーをつけるのは35年ぶりぐらいになるだろうか。なので、なかなか手が付けられずにいた。だけど、日にちが迫り、かなり焦ってきたので頑張って頑張ってやっとできた。

 

 こんな感じ。

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紬にこげ茶の布を手縫いし、黄緑の刺しゅう糸を縦にコーチングステッチする。そして、小花を縫い付け、中心にビーズをつける。ビーズはそれぞれが好きな色を選んだ。私は焦げ茶色のビーズを選んだのだけれどちょっと大きすぎたので自宅にあったスワロフスキーのピンクに変えた。そこだけしか違わないので私はイニシャルもコーチングステッチしてみた。

 

横はキャラメルを包んだみたいな感じでこんな風。あっ、タグがずれてる。まあいいっか・・・

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裏返すとこんな風にぺっちゃんこになる。

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 キャラメルポーチは大きさを変えれば布団袋やペンケースにも応用できるそうだ。

だけど、私はもう作ることはないと思う。

作り方は難しくはないのだけれど、何だか歪んでいるみたいできれいにできなかったし(寸法は何度も測り、しつけもし、縫ったつもりなのに)、私にとっての用途がなさそうだから。

それでも折角作ったのだからこれは使うつもり。先生は講座の時に必要な糸類を入れていたから私もそんな風に使ってみようと思っている。