えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

帯状疱疹のその後と庭仕事

帯状疱疹を発症して今日で50日目になる。

疱疹の方は痕が残っているものの治った。だけど、痛みの方は未だに残っている。おそらく、治療が遅れたこと、腰と左下肢の広範囲に疱疹ができたことが原因だと思われる。

そして、NHKの「今日の健康」によると、60歳以上の2割に痛みが残るということだった。私はもれなくその2割に入ってしまったようだ。

 

それでもここ1週間ぐらいは差し込むような痛みはなくなったし、ズボンや布団が触れるだけでも痛くてたまらなかったけれど、それも少しは改善したような気がしている。

皮膚科の医師からは「痛み止めを飲んでも良くならなければまだ電気?の治療もあります」と言われていたので受診しようかと思っていたけれど、忙しいのと少しづつでも回復してきているのでまだ受診していない。

 

2週間ぐらいぐらい前までは何もやる気にはなれず、日柄一日横になっていた。だけど、痛みが少しでも良くなると庭の草が気になりだすし、大見出しを見ただけで積み積みしていた新聞も、買ったままの本や雑誌も手に取る気になってくる。

 

夫が家にいる日は新聞や本、雑誌類を読み、デイケアの日には食料品の買い出し以外は外出することもなく、午前中は庭に出て草取り、伸びきった庭木の刈り込み、増えすぎた花の整理等などし、夕方になるとまた夫の帰宅を待ちながら30分から1時間ぐらいは庭仕事をしていた。

お盆もあり、次男が帰省したこともあり、2週間に1度ぐらい会っていた友人にはもう1か月以上会っていない。友人は、私が帯状疱疹の痛みが続いていること、夫の入院、次男の帰省と、次から次へといろいろある私を気遣ってくれ、時々メールをくれる。そして「草で死ぬことはないから体を大事にね」と言ってくれるけれど、帯状疱疹でできなかった約1か月の間にコニシキソウとその仲間たち、ジシバリ、猫じゃらし、メヒシバ、カヤツリソウ・・・とすごいことになってしまったのだから庭仕事をしなければ気持ちが落ち着かず、精神衛生上よくないので会いに行くことができないでいる。

 

雑草とはいえ、かわいいツユクサだけはいつも残してしまうというえこひいき。

好きな花を見つけると、草取りしていてもうれしくなる時がある。

そして、今年初めて咲いたシュウメイギク

今年の一番花を見つけたときも、自分の顔がほころぶのがわかる。

なんだかんだ言っても草取りを含めて庭仕事が好きなのかもしれないなあと思う。

白い木槿が咲いた

あちこちで木槿が咲いているのを見かけていたが我家の木槿はちっとも咲かずにいた。

その木槿がもう時が過ぎてしまったけれど17日にやっと咲いた。

すてきだよね。咲き始めると、いつもうっとりして見惚れてしまう。

 

植えたわけではないのだけれど、鳥のプレゼントなのかいつの間にか我が家の庭に定着した。

残念なことに金柑の木の陰になって部屋からは見えないのだけれど、この白い木槿が咲くと夫はすごく喜ぶ。私は庭に出て咲いているのを見つけると夫が窓から見えるように枝を引っ張って見せてあげる。もちろん、デイケアの日にはお迎えの前、帰宅時にしばらく眺めてはいるのだけれど。

 

あまりにいろんなことが次々に起こり心が折れそうになる。だけど、こんな純白無垢なすてきな木槿を眺めていると気持ちが落ち着いてくるから不思議だ。

 

明日は短時間しかできないけれど、草取りができそうだし、ちょっとだけ頑張れそうな気がしている。

入院から退院、そして今までのこと

前回、夫が発熱し、入院したところまで書いた。

面会は禁止だから会えないことは分かっているけれど、汚れ物があれば持ち帰りたいし、足りないものがあれば次回の面会時に持っていきたい。それで毎日面会時間になると夫への手紙を持って病院に行った。

 

看護師さんたちは私がナースステーションの前に立っていると「お聞きしていますか?」と、誰もが声をかけてくださる。接遇はとてもいいと感じた。

ところが、これは・・・と思うところがたくさんで、がっかりするようなことも多かった。まあ、夫にはかわいそうだったけれど、急性期の病院だから仕方がないかと思うことにして諦めていた。

 

夫は抗生剤の効果か、翌日には解熱したようだ。抗生剤の点滴は決まった期間(1週間)施行する必要があるので熱が下がったからと言ってすぐ退院することはできない。

 

木曜日の日、主治医から電話があった。解熱しているし、目のあたりの腫れも引いた。炎症反応の値も下がっているので週明けには退院で良いでしょうと。で、月曜日の10時に退院することにした。

 

日曜日に我家の外用の車いすと、退院時に着る服を持っていき、退院までに必要と思われる物を残し、他の荷物はすべて持ち帰った。

 

退院の数日前、面会時間にナースステーションに行くと、看護師さんが「奥さん一人ですよね。リハビリの人が車いすに移動させるのも大変みたいですけど・・・」と言われた。そんな事を言われても私しかいない。頼めるにとだっていない。どんな状態であれ私一人なのだから。

退院時は車いすのまま乗れる介護タクシーが頼んであるし、今までだって理学療法士さんや作業療法士さんができなかったことをやってきたんだから。そう思って、退院した。

夫のような自分で動くことができない年寄りが1週間も入院すると、リハビリの方が1日に1回車いすに乗せてくれたとしても、あとの時間はベッド上の生活を余儀なくされる。それがどれほど身体機能を低下させるか、驚くほどだった。

 

介護タクシーを降り、外用の車いすのままベッドに行き、ベッドに移動してもらおうと思ったら立つことがままならない。車いすのサイドを跳ね上げ、何度も抱え、何とかベッドに移動させた。それから床を拭き、室内用の車いすに移動。それはもっともっと想像以上に介護量が必要で、さすがの私もそれだけでくたくたになってしまった。ただ、トイレだけは手すりや壁にもたれながらなんとか用足しができたので救われた気がした。

 

翌日の火曜日から訪問リハビリを開始。担当者は身体機能の低下に驚き、メニューを変更。歩行訓練はやめて立位保持訓練までとした。その立位保持訓練もままならない状態だった。

翌々日の水曜日はデイケアに行った。デイケアの方にはかなり身体機能が低下してしまったことを伝えて。

デイケアから帰宅してから外用の車いすからベッド、ベッドから室内用の車いすに移動するとき、ちょっと立位が保持できるようになったような気がした。というか、案外スムーズに移動できた。

木曜日もデイケアに行った。出かける前の移動、帰宅したときの移動、どちらも以前と変わらないぐらいにできた。まだ4点杖での歩行は行っていないけれど、私とでもできそぅなきがしている。

入院前の状態に戻ったようで何よりだ。

 

元に戻るが、退院した日、あまりの機能低下に今後のことを悩んでしまった。

家で介護することには変わりはないけれど。今回のことでホームドクターがないことも含めて。

 

車なら5分ぐらいで行けるところに訪問診療に力を入れている医院がある。私が75歳になったら車の免許を返納し、その医院に夫の訪問診療をお願いしようと思っていた。

今回のことで、もうその時期が来たのだと思い、その医院に訪問診療をしていただけるかを問い合わせてみた。

脳出血で倒れてから現在までのことを話したところ、医院では検討会を開いて訪問診療を受けるか決めるという。

検討会の結果、受けていただけることになり、来週総合病院の脳外科の受診の際に紹介状を書いてもらうことにした。夫の場合、今は血圧の管理とけいれんを起こさないように管理するだけだから、今では総合病院の脳外科である必要はないと思っている。

 

これで安心かどうかわからないけれど、とりあえずホームドクターができた。その医院は訪問診療以外にも緊急時の往診も受けている。今まで何年もの間悩みに悩んでいたけれど、何人ものケアマネから聞いた評判はすこぶるいい。夫の友人も最近何かあると受診するけどいいという。

まあ、訪問診療に移行するまでもうしばらくあるけれど、やっぱりこれで良かったのだと思いたい。

夫の発熱

土曜日の夕方、夫が39.4℃まで発熱した。

気づいたのはトイレに座った後。発熱すると全く動けなくなってしまうのでそこからベッドまで動かすのは至難の業だ。それでも発熱となればコロナではないと思っても誰かに頼むわけにはいかない。必死でトイレから車いすに移動させ、車いすからベッドに移動させた。というか、なだれ込むように横になったのできちんと仰臥位に体制を整えるのも大変なことだった。

症状は発熱だけで呼吸器症状は見られない。夫が発熱すると救急車を依頼するしか受診の方法はないので頸部を冷やし、しばらく様子を見ることにした。座ることはできそうだったのでおかゆと消化の良さそうな副菜を作り夕食は食べてもらった。

日曜日になっても解熱する様子はない。1度解熱剤を使い37.0℃代に解熱したものの38.5℃以上の熱が続いた。

食事の方は朝はパンを食べることができ、昼はおにぎりにし、夕食は普通のご飯と消化の良い副菜(朝も昼も)を作り、食べてもらった。

熱はあるものの食事は食べることができるし、意識も清明。もちろん、水分も1日の必要量近くは飲むことができていた。

排泄は小さな方は濃縮尿ではあるが混濁も無く、通常よりは少なめだとは思ったけれど出ている。大きな方はまあ1日2日でなくても大きな問題はなさそうだ。

で、その日も様子を見ていた。

月曜日の朝、体拭きをしていたら右の顔面が目が塞がるほどに腫れていることに気づいた。こうなると放っておくのは危険だと判断し、救急要請をすることにした。

ただ、体拭きを済ませ、パジャマを着替えさせ、朝食を済ませたあとに。

 

この時期、あちこち出払っていて、少し遠くの消防署から出動してもらえることになった。

救急車が着くと色々聞かれ、受け入れ病院を当たってくれた。かかりつけの総合病院に断られ、程ほど近くにある法人の総合病院に断られ、結局、市内で一番大きい総合病院が受け入れてくれた。

病院に着くと、私は感染症が疑われるパーテーションで囲われた家族の待合所℃待つように言われ、一通りの検査が済んでから夫の元で待つように言われた。

コロナはマイナス。何か所もCTを撮ったけれど発熱の原因は分からず。しかし炎症反応は高い、ということで入院になった。病名は不明熱。

抗生剤の点滴で様子を見てよければ1~2週間の入院になりますと説明を受けた。

ただし、面会は禁止。荷物を届けるのもナースステーションまで。コロナの感染者がわが市でも600人以上も出ている今では仕方がないことだと思いながらも1週間も顔を見られないのはちょっと心配だった。失語症がなければそんなには心配しないのだけど。

 

夫が病棟に上がり、私が家に戻ったのはもう16時少し前。朝食から飲まず食わずでトイレにも行けずくたくただった。急いで水分を取り、冷ご飯をチンして卵かけご飯にしてかき込み、入院の準備をして再度病院に行き、自宅に戻ったのはもう19時30分を超えていた。

簡単な夕食を食べ、シャワーを浴びて床に就いた。

すごくすごく、すごく疲れた1日だったけれど、次の朝まで1度も起きることなく眠っていた。しかも7時過ぎまで。

夫は火曜日には解熱していたようで、今日は午前中に車いすにも乗せてもらえたようだ。この分なら、私の経験上、金曜日まで抗生剤の点滴をして、月曜日の朝、採血をし、炎症反応が正常値まで下がっていれば即その日に退院になるだろうと予測している。この時期なので病室が埋まり、緊急患者の受け入れ病室の確保が必要であれば、土日でも採血をして結果次第で退院と言われる可能性がある。私としてはいつでも退院を受け入れるつもりでいるので準備をしておきたいと思っている。

 

本当はこんなことを書くつもりではなく、

この間、何十年ぶりかでピンクのミニスイレンが咲いたこと。

この間からモミジバアオイが咲いて二人で本格的な夏を感じたこと。

そんな楽しいことをもっと詳しく書くつもりだったのだけれど・・・

帯状疱疹5日目

金曜日の夜、左の腰のあたりに何だか違和感を感じ、そっと触ってみた。

するとボツボツとした感じでアッと思う間もなく浸出液が手についた。自分では見えないところなので鏡のところに行き見てみると真っ赤な発疹ができていた。その時点では痛みはなかったので何もせずにそのまま寝てしまった。

翌日の朝、痛みを感じたので再度見てみると発疹は酷くなり、周りは赤くはれていた。

それでも、土曜日だし、夫を一人にして病院には行けないし、で様子を見ることにした。おそらく1週間もすれば自然治癒するだろうと踏んで。

それが、

それから痛みは徐々に酷くなり、夕方には左下肢にも発疹が出て、発疹の先端には無数の水泡があることに気が付いた。

この時点でおそらく帯状疱疹だろうと思った。帯状疱疹ではそのまま放っては置けず、さすがの私も皮膚科の専門医に受診した方がいいと思った。けれど、あいにくその日は土曜日の午後。次は日曜日、月曜日は海の日で休日と続き、火曜日は午前中には夫の訪問リハビリがある。で、痛みを我慢して水曜日に受診することにした。

しかし、火曜日の午後になると痛みは激しさを増し、発疹のない大腿部まで痛くてたまらなくなった。

皮膚科の午後の診察時間は3時30分から。小雨とはいえ、雨は降っているし、夫を一人置いていくのは心配だ。で、夫に一緒に行ってくれないかと聞いてみた。けれど、返事はない。

皮膚科にかかるとして、往復にかかる時間は約20分。初めての病院だなのでどのぐらいの患者がいるのかわからない。でも、多分、2時間ぐらいあれば行ってこられそうな気がする。お通じは済んでいたし、幸い、今は相撲中継がある。普段は滅多にテレビを見ない夫だけれど、相撲の時だけは見ることが多い。それで、夫にトイレを済ませたら相撲を見て待っていられるかを聞いてみた。私の皮膚の状態を見ている夫は今度は即頷いてくれた。

 

そんなわけで、夫を一人家に残し、4時に自宅を出発した。

皮膚科の病院に着くと、待合室には大勢の人がいるように感じた。あんまり時間がかかるようなら翌日にすることも考え、受付の方にどのぐらい時間がかかりそうかと聞いてみた。すると、待合室をぐるっと見回して「このぐらいなら20分ぐらいで中待合に呼ばれると思います」と言われた。

それを聞いてちょっと安心した。

さすが受付の方、その通りに呼ばれ、診察室にもすぐに呼んでもらえた。

 

医師に状態を説明するとベッドでの診察となり、医師は見るなり「帯状疱疹で間違いないと思う」と言われ、何やら検体を採取したような気がした。

 

診察室に戻ると、検査キットを見せられ「帯状疱疹に間違いありません」と言いながら、原因、治療法、予後等などを丁寧に説明をしてくれた。そして、内服薬と軟膏が処方された。

 

帯状疱疹が痛いことは知ってはいたけれど、これほどまでに痛いとは。

立っていても、座っていても、寝ていても、ジンジン、チクチク、ズキズキ・・・と痛い。衣服が触れているだけでも痛い。軟膏を塗布するときにもどう表現したらいいかわからないけれど痛い。

 

帯状疱疹の原因は子どものころに罹患した水痘ウィルス。老化、過労、免疫力の低下などなどによって隠れていたウィルスが活発に動き出し、神経を刺激している。原因は思い当たることばかりだ。いろいろありすぎて心身ともに疲れていたのかもしれない。

安静にしていた方がいいと言われてもじっとしていても痛いし、却って何かしていた方が痛みがまぎれる。それに月水木の日中以外は夫の介護があるし、夜中にはトイレ介助で何度も起きなければならないのだから安静にというわけにはいかない。

 

今日で発症から5日経つ。回復するまでに2、3週間はかかると言われている。

それでも、内服薬を2回、軟膏を4回塗布したせいか、足の方はまだかなりの痛みがあるけれど、最初に出た発疹のあたりは少しだけ痛みが和らいだような気がしている。

2週間後にはコロナワクチンの4回目接種の予約がしてある。皮膚科の医師からは接種しても大丈夫だと言われたけれど発症から3週間弱だから完治しているだろうか。できることなら完治していて欲しいのだけれど。

今年もハゼランが咲いた

一昨年、放ったらかしにしていた植木鉢の中でかわいらしい花が咲いているのを見つけた。

花に詳しい友人に話すと「そこら辺の道端でいっぱい咲いているよ」と言われた。でも、私はそれまで見たことがなかった。というか気づかなかった。

 

あんまりかわいらしいのでそのままにして窓から眺めては楽しんでいた。名前を調べるとハゼランというらしい。午後3時ごろに咲いて暗くなるとしぼんでしまう1年草だ(本来は多年草だけれど日本では越冬できず1年草扱いらしい)。

 

こぼれ種で昨年も咲いた。そして、今年も1週間ほど前から同じ鉢の中で咲いている。

写真がうまくないけれど、ピンクでとってもかわいい。

きちんと植えなおせばいいのに、いまだに放ったらかしの鉢のまま。

だけど、3時になると窓から今日のハゼランを眺めるのが今の楽しみの一つ。

「今日も咲いているね。かわいいね・・・」なんて、心の中で話しかけてしまうのです。

今日も草取り

このところの雨と気温の上昇でか、最近取ったばかりだというのに庭の草が一気に増えた。

草花も生える時期があり、今一番困るのはコニシキソウ。一見、地面の色と同化しているように見えるけれど、庭中に蔓延って気になって仕方がない。

他にも、カヤツリグサ、カタバミ、名前がわからない草・・・と、この間まで勢力を伸ばしていたマツバウンランホトケノザと代わってきている。

雨が降っていると草取りはできないけれど、今日のように雨上がりの曇天で夫がデイケアに出かける日には他にもやること、やらなければならない事、やりたいこと、行きたいところと用事はいっぱいあるのに草取りをしないではいられない。

 

というわけで、今日も夫がデイケアの出かけると、水筒を準備し、首に保冷剤をまき、腕カバーをし、タイマーを持って庭に出た。

今日は30分ごとの休憩を含め、1時間半作業をした。本当はもう少しやっておきたかったけれど、電話が鳴ったのを機にやめることにした。

まだまだきれいになったというところまではいかなかったけれど、夕方夫の帰りを待ちながら30分ぐらい追加で行い、気になり方は落ち着いた。

 

今日の成果は45㍑のごみ袋2袋弱。ぎっしり詰め込まなかったのは明日の燃やすごみを入れるスペースを残したから。

 

そして、今日のご褒美はフウラン。

リボン刺繍の先生宅ではもう何日も前に咲いたとブログにあったけれど、我が家ではやっと咲いてくれた。

雑草と言われる草たちには悪いけれど、いつまでも眺めていたいほどすてきで見入ってしまう。写真はうまく撮れないけれど。