えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

運命が変わった日①

それは、2年前の今日。

 そう、2010年9月29日のこと。その日に夫は脳出血で倒れてしまったのです。

 

その頃の我家は、2年前の昨日、95歳の誕生日を迎えた義母と、建築設計を生業としていた夫、そして、看護師として病院勤務をしていたえむこの3人暮らしでした。

そして、夫は夜も昼も義母の介護をしながら、重なった仕事をこなし、しかも我家の改修工事まで行っていたのです。

 

その日。

仕事を終えたえむこは、いつものように買い物を済ませ、18時20分頃に帰宅。

夫は親友Kちゃんの家に、仕事で打ち合わせに行っていました。

Kちゃんの家は二世帯住宅に増改築する予定で、もう最終段階の打ち合わせだったみたい・・・

18時30分頃だったでしょうか、Kちゃんから「何だかしゃべり方がおかしいから病院に行った方がいいと思うけど・・・」と電話があったのです。

Kちゃんの家までは、我家から車で5分ぐらいの所なので、えむこはすぐに迎えに行きました。

でも、Kちゃんが私に電話をしている最中に、夫は「自分で帰る」と車に乗ってしまったそうです。

しかし、走り出した車はジグザグ運転だったようで、Kちゃんの長男M君があわてて助手席から飛び乗り、車を止めてくれたとのことでした。

その時点で夫の意識は消失。すぐに、救急車を要請してくれていました。

数分後、えむこが着いた時には、夫は車の中で意識がない状態。

呼吸や脈拍は問題なかったので、その時点では、症状からいって脳梗塞だろうと思いました。

もしも脳梗塞なら、TPA(血栓溶解療法)の対象になるだろうからと、救急車が到着するのを「早く、早く・・・」と待ちわびていたのです。

救急車が到着し、TIセンターに搬送が決まるまでの時間は、結構、長く感じられましたね。

実際の時間は覚えてないのですが・・・

搬送先が決まった時点で弟に電話して・・・

弟が姉に連絡してくれ、姉が我家まで義母の介護に来てくれることになりました。

だから、えむこは義母の心配することなく、自分の車で病院に向かいました。

病院に搬送されてからの夫は、CT撮影に行ったり、他の検査を行ったりして・・・

その間ずっとえむこは待合室で待ったいたのです。

かなり時間がたってから、当直医に呼ばれ救急室に入ると、CT画像が目に入り、救急外来の経験があるえむこには、すぐに夫が「脳出血だ・・・」と分かりました。

医師からは「脳出血でした。今、脳外科の医師を呼んでいるのでもうしばらく待ってください」との説明。

またしばらく待合室で待っていました。

でも、脳外科医が来てくれるまでは、そんなに時間がかからなかったような気がします。

後で思えばその時、脳外科医は緊急手術の最中だったみたいなのですよね。

 

脳外科医の説明は、

脳出血でとにかく入院が必要。

出血量が多く、手術の適応となる。(適応は30ml以上、夫は65mlの出血量だった)

手術をしても、意識の回復は早まるかもしれないが、ダメージを受けた脳は治らない。(手術をしなければ、1か月ぐらい意識は戻らないかもしれない)

右半身マヒと失語症は残るだろう。そして、車いす生活になるかもしれない・・・

現在、緊急手術をしているので、夫の手術はその後になる。

というものでした。

そして、弟と相談して、夫は手術を受けることに決めたのです。

 

手術室へは21時30分、出棟。

手術が終わったのは、もう日付が変わってからだったのですよ。

病院に搬送されてから、手術室に行くまでに、夫の顔を見たのはわずか1回だけ。

しかも、救急外来からICUまで移動するわずかな時間だけだったのです。