夫が脳出血で倒れた当時、えむこは自分のことを責めてばかりいたのです。
急性期の病院に入院中は、涙が枯れることはないぐらいに・・・
それは、夫が脳出血で倒れたのは「えむこにも責任がある」というより「えむこのせいだ」と思ってたからね。
それに、えむこは「看護師なのに、大切な家族1人の健康すら守れなかった」っていう思いもあったのです。
その① 血圧の管理。
夫は血圧が高かったのです。
夫の母も、母の兄弟は全員、夫の弟も・・・
はっきりと覚えてないけど、夫は多分、50歳ぐらいから降圧剤を飲み始めたと思います。
だけど、内服治療をしていたにも拘らず、いつも最低血圧(拡張期血圧)が高かったのです。
だから、心配はしていたけど、定期的にかかりつけ医に受診していたし、きちんと内服もしていたから「大丈夫だろう」って、思ってしまったのです。
もちろん、内服忘れがないようにだけは気遣っていたんだけど・・・
その② 食生活と体重管理
夫はちょっと過食気味でね。そして、ビールも飲んでいたの。
ビールってかなり食欲増進させるみたいで、輪をかけて過食になったんだと思うのです。
夫の結婚当時の体重は60数㎏キロで、倒れる前は80㎏ぐらいになっていたのです。
これだって、食べ過ぎないように何度も言ったんだけど、言うだけじゃダメなんだ。結果だから・・・
それに、当時はえむこも一緒になってビールを飲んでたのです。
その③ 母の介護
夫は仕事が重なって忙しくなった時も、母の介護をほぼ一人でしていたのです。夜はいつも、母のベッドの横に布団をひいて寝ていました。
もちろん、夫が不在の時や、できない時にはえむこがやってはいたけど・・・
でも、それは全体から見ればほんの一部だけだったのね。
夫は「母がトイレで夜2回起きた」とか「今日は3回だった」そして、「そのあと、2時から眠れなかった・・・」とか、「3時から眠れなかった・・・」なんて、よく言っていたのです。
えむこは母の介護がイヤだったわけではないのですよ。
だから、夫に「休みの前の日にはえむこが変わろうか・・・」と言ってたの。
でも、母は「息子がいるからいいよ・・・」と言うし、夫は「自分の親だから僕がするからいいよ・・・」って言うので、えむこはその言葉に甘えちゃったんだよね。
でも、夫の体のことを考えれば、やっぱり夫にゆっくり寝かせてあげなくてはいけなかったと思うのです。
その④ 生活全般において
夫は家のことは何でもやってくれていたのです。
えむこが自信を持ってやっていたと言い切れるのは、洗濯と夕食の準備と片付けぐらい。
家庭菜園も庭の草取りも、家のメンテナンスも・・・
それどころか家の前にある公園の側溝の掃除まで、すべて夫がしていたのです。
そんな中、えむこは夫に「大人なんだから、自分の健康管理ぐらい、自分でしなさいよ・・・」なんて、いつも言い放っていただけ。
まさか、脳出血で倒れるなんて、思ってもいなかったから・・・
だから、もっと手伝えばよかった。
もっと、寝かせてあげればよかった。
もっと気を付けてあげればよかった。
と、後悔と懺悔の毎日だったのです。
そして今。
もちろん、倒れた当時の気持ちを忘れてしまったわけではないのです。
でも、もう涙を流すようなことはなくなりました。
夫は沢山の後遺症が残って、かなり不自由になってしまったけど、命まで奪われることはなかったからね。
えむこだって、不自由にはなったけど、傍にはいつも夫がいてくれるわけだから・・・
やっぱり不幸ではないと思うのです。
だから今はね。
過去は変えられないし、戻れるわけではないのだから、今を一生懸命生きようと思っているのです。
「不自由を常と思えば不服なし」ってね。
少しでも夫にできる事が増えれば一緒に喜び・・・
何処かに出かけたければ、一緒に出掛けられる方法を考え・・・
「日常に中に楽しみを見出しながら、頑張って行こう」と思っているのです。