えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

えむコール

夫は脳出血で倒れて以来、たくさんの後遺症が残ってしまいました。

以前にも書いたけれど、右半身マヒのほかに失語症、注意障害、記憶障害、遂行機能障害、失行・失認等の高次脳機能障害などです。

 失行・失認という高次脳機能障害はかなり厄介なもので、例えば何か物を見ても、それが何なのか、どうやって使ったらいい物なのか、今まで普通にやっていたこともどうしたらいいのか、分からないのです。

そのため、急性期病院に入院中はノートを左手で持っても鉛筆は左手で持とうとしませんでした。食事が始まった後も茶碗を左手で持ってもスプーンは左手で持とうとしないのです。その時、PT(理学療法士)が「左手でするという認識がないんだろうね・・・」と言ったのです。

回復期リハビリ病院に入院中は朝起きると洋服に着替え、寝る時はパジャマでの生活でしたが、着替えができませんでした。「麻痺側の袖から通すこと」と、何回教えてもダメでした。

歯磨きも、うがいをすると、いつまでもうがいをしていて、歯を磨こうとはしないのです。その時、OT(作業療法士)から「失行があるので途中で止めて、指示を出してあげないと・・・」と教えられました。

それと、ナースコールが押せませんでした。ナースコールがどういうものなのか、押すことの意味も分からなかったのでしょう。

 

誰もが当たり前に行っている日常の行為さえも、夫は再度学習し、覚えなければできなかったのです。

学習の結果、鉛筆とスプーンはすぐに左手で持てるようになりました。歯磨きも徐々にできるようになり、今では時々確認するだけになったのです。

でも、着替えはかなり難しく、今でもできないでいるのです。とはいえ、入院中よりは少しは良くなったのですが・・・

そして、ナースコールは結局最後まで押すことができずに退院になりました。

 

それでも退院後、夫がコールを押せるようになると、えむこが離れたところにいても安心なので、夫の母が使っていたコールボタンを「えむコール」と名付け、教えることに挑戦したのです。

初めは夫の指を持ってボタンを一緒に押し、チャイムが鳴ることを教えました。それを繰り返し・・・

次にえむこが隣の部屋に行き、夫に「えむコールを押して・・・」と言う。チャイムが鳴ると「ご用はなあに・・・」と夫の所に行く。それを何度も繰り返し、やっと「えむコール」が押せるようになってきたのです。

ところがそれが壊れてしまったので、2代目の「えむコール」をホームセンターで買ってきました。思いのほか安かったので2機購入し、1機はトイレに設置し、もう1機はベッドに置くことにしたのです。新しいもの、新しいことになると、夫は混乱するので、また同じように教え直しました。

トイレでは介助が必要なので、夫が便座に座ってから、必ず「えむコール」を押してもらい、「チャイムが鳴ったらくるからね」と繰り返し教えました。その結果、トイレでは割と早く押せるようになりました。

でも、ベッドでは同じものなのに一向に押せるようにならないのです。ベッドからえむこを呼ぶのは、朝起きた時、お昼寝から目覚めた時、夜中のトイレの時なのです。今はベッド柵をガタガタ揺らしたり、「おんなんなんなん・・・」と声を出して呼んでいるのです。

夜中にベッド柵をガタガタさせて呼ばれるとびっくりしてしまうし、お昼寝の時には家から離れることができないのです。

それで「お願いだから、えむコールを押してくれる・・・」と言い続けていたのです。

退院してもう1年と7か月。それがやっと、3日ほど前からベッドからも「えむコール」を押すようになったのです。まだ毎回ではないけどね・・・

えむこはベッドからコールがあった時には、大喜びしてベッドに行き、夫を褒めまくっているのですよ。

実は、確実に「えむコール」が押せるようになったら、3代目の機種に変えようと思っているのです。今はチャイムの音が聞こえるのはせいぜい庭先までなのですが、予定しているのは離れの家の中にいても聞こえるタイプ。もう製品は夫の弟が調べてくれてあるのです。

離れでも聞こえるタイプに変更すれば、夫がお昼寝していても安心して離れの片付けができるからね・・・

こうして、時間がかかっても、夫が一つ一つできるようになっていくのはホントに嬉しいことなのですよね。