結婚してから、我家の年賀状は夫の役割になりました。
だから、夫はこの時期になると、いつも年賀状のアイデアを練っていたのですよ。
今までは版画の年もあったし、全て手書きの年もありました。プリントごっこが発売されてからは、毎年プリントごっこで印刷してから、一枚一枚彩色して仕上げていたのです。
えむこは夫と同じ年賀状を使った年もあるけど、えむこ用に作ってくれた年もあるのです。それどころか、えむこの父が生きていた頃には、父の分まで作ってくれていたのです。それも、えむこや父の注文通りにね。
例えば、えむこの注文は・・・
長男が小学校入学の年はねずみ年でした。夫は自営業を始めたばかりで大変な年だったので、えむこは「高くて険しい山にT定規を担いだお父さんねずみが登っていく姿を描いて、その後から母さんねずみ、ランドセルを背負った子ねずみと、もっと小さい子ねずみがついていくように描いて・・・」とかね。
何かドラマを感じるように描いてほしいと注文を付けたりしていました。
(T定規というのは図面を書く道具のことで、その当時は夫の商売道具でした。)
父は七福神がいいとか、招き猫とか獅子舞とか・・・
だけど、2010年9月に夫が脳出血で倒れてからは年賀状どころではありませんでした。その年の年末はまだ回復期リハビリ病院に入院中だったし・・・
正月に届いた年賀状の返事さえも書きませんでした。
2011年に年賀状を出さなかったにもかかわらず、今年もたくさんの方が年賀状を下さったのです。
その方たちには夫の了解を得て、脳出血で倒れたこと、右半身マヒが残り車いすの生活になったこと、言葉が話せなくなったこと、現在はリハビリに励んでいることなどを書いて、以前夫が描いた絵手紙を使って寒中見舞いを出しました。そうしたら、すぐに会いに来てくれた方、丁寧なお手紙を下さった方が何人もあったのです。
さあ、今年はどうしましょう・・・
「夫は描かないだろうなあ・・・」と思いながらも、えむこは「ヘビの絵を描いてほしいな~。描いてくれない? お願いだから・・・」と、時々言っていたのです。
そうしたら、以前書いた年賀状の控えを何日か眺めていたのですが、なんと、お絵かき帳に富士山の絵を描き始めたのです。
でも、いくつか描いたところで気に入らなかったのでしょうね。やめてしまったのです。
今年はやっぱりダメかな~。
でも、描こうとしただけでも嬉しい変化ですよね。
これは以前の年賀状の一部です。
もっといい年賀状がいっぱいあったんだけどね。
結婚して36年。50~60枚ぐらいは作ったはずだから・・・